“・・・無題・・・” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“・・・無題・・・”

 渋沢栄一という人が八面六臂獅子奮迅の生涯を送ったことは間違いないだろうが、英雄になりたかったわけも後世偉人として称えられたかったわけでもなかっただろう。地位も求めず権力からも距離を置いた人だ。ただただ助力を求める人たちの力になりたい、まだまだ自分にはやれることがある、それが嬉しいで一生を駆け抜けた人だったように思う。渋沢さんと言えば論語だが、論語が渋沢栄一を育てたという見方には少々疑問がある。彼が論語を生きる上での指南書としたことは間違いないだろう。だが、これは言うまでもないことなのだろうが、その一語一語に忠実に従ったというのではなく、あくまでもその精神とその思想的構造の見事さに感服して生涯対論しつづけたということではないかと思う。などと生意気なことを言いながら論語とは遠いところで生きてきたので、巷に流布する諺的に口にされてきた一部を知るのみだ。そういう立場で言えることは限らているが、個人的な推量としてこういうことだったのではないかと思っている。彼は論語の中に普遍的な人間論や社会関係論や倫理哲学的な基礎概念のようなものを見ていたのではないかということだ。そこにはある種の数式のような構造まで見え、それを通して社会を見たり己を見たりするうちに渋沢ならではの論語空間が出来上がっていったのではないだろうか。だから、晩年期には渋沢と孔子という二人の対論のような趣でさえあったのではないかと推察している。渋沢が見ていたのは誰から与えられるセオリーなんかではなく、人間とか社会とか仕事とか経済原理とか、そういうものを見通し見抜く普遍的なスケールのようなものだったのではないかと思う。究極、彼の為しつづけたことを見ると、彼もまた愛の人だったのではないだろうか。恵まれぬ子供たちのことは生涯気にかけたようだ。愛の判事も迷うことなく同志!と言って肩組んだに違いない。

 渋沢栄一をめぐって少し渉猟していて、渋沢も金儲けを否定していたわけではないみたい件に出会って少し首をひねった。彼が、まっとうな商売の結果として利益を得たということなら問題などないだろうと考えたことは間違いあるまい。だが、彼自身にもどこかにそういう金儲けへの欲のようなものはあったようだみたいな見方は少々違うような気がする。社会貢献にもつながるまっとうな商売で小金がたまり、その後の人生を若い者たちの勉学に寄り添う暮らしに費やせるならそれもいい、みたいなことを言っているのは、おそらくは彼ならではの一つの見果てぬ願望だったのだろうと思う。そんなことは周囲が許さなかったし、彼自身次から次へと押し寄せる難題課題に向かって力を尽くす日々でそんなことなど夢のまた夢だったのだ。第一、彼自身がそういう自己の運命を楽しみ喜んでいたに違いないからだ。かなり見当違いの連想になるかとは思うが、ふと宮沢賢治のでくのぼうを思ってしまった。人々に尽くして自己を顧みることがない。出世や栄達などまるで眼中にない。まるで走り回ることが人生のような生き方は彼のような稀有な異能の人であったからこそ可能なことだったのではないかと思う。

 晩年には、別の大きな夢を抱いて一つの運動に参加したようだ。渋沢の生涯には内外を問わず戦火戦乱がつきまとったと言っていいだろう。世界平和それを生涯最後の大仕事と思ったのかもしれない。世界中の宗教を同じ世界観人倫観で一つに結び戦争のない世界にする。壮大かつ究極の夢だっただろう。渋沢は当然のことだろうが、論語をその結節の核にすることを考えていたようだ。彼にすれば当然のことだっただろうが、そうはいかなかった。当然と言えば当然だろう。彼自身は彼自身の論語解釈とその精髄の普遍構造には絶対の自信をもっていたのだろうが、他宗教の人々にとってそれは一つの異宗教にすぎないという事実を超えるものではなかったということだ。絶対普遍と信じていたものが、様々ある宗教の一つに過ぎないものとしてしか向き合われないという現実にショックを受けたかもしれない。しかし、それがまさに人間の現実だったのだ。ということは、あらゆ宗教がそういうふうに扱われたのであり、当然ようにその時点で一つに結ぶという望みも敢え無く潰えたということだ。それに直面した渋沢がどのような感慨をもったかは知る由もないが、少しだけ世界や自分自身の姿がこれまでにはなかった違ったものとして見えたということはあったかもしれない。人類の数だけ普遍がある。皮肉だが、それもまた間違いなく現実だっただろう。所詮人間が思念空間に発掘した純概念というものにはそういう限界がある。それはヒトというものが人間でありながら究極のところ別々の生き物だからに外ならない。われわれのあらゆる共有にも約束にもなんら保証はない。私たちはその気になってみることができるだけだ。私たちは思い込みと信じるということを信じるという信仰の中で辛うじて震えながら立っている。そのことを少し自覚することもあっていいだろう。

 渋佐氏が採用された新札が我が家にもやってきた。ほとんど先進技術を駆使した工芸品ような代物だ。専門家によればこういう新札発行もこれが最後になるのかもしれないということだった。ある意味、最後を飾るには最適の人選だったのかもしれない。今世界は、文化文明、世界化した経済、大国間同盟間の対立構造がどうなってゆくのか不安だらけの状況にある。見通しは暗い。渋沢栄一ならどう受け止めどう考えただろうか? 彼になにか手立てを思いつけただろうか? 予想は残念ながら否定的だ。この現状になにかできる個人など存在しないのだ。これは人類という生き物の種としての総現象が帰結させつつあるものであって、そう容易に流れを変えられる手だてなど見つかるものではない。むしろ温暖化暴走と並行して文明暴走も始まっている可能性さえあるのだ。技術には必ず壁がある。分かっている人はとっくに分かっていたことではないかと私は思う。これ以上を言ううことは控えよう。本当は、愛の判事が言う通り、愛にだけ可能性があるのかもしれない。だが、人類社会の現状は究極の椅子取りゲームの真っ最中だ。憎悪と排除の情念が苛烈な炎を上げて世界を燃やし尽くそうとしているかのようだ。言葉もない。

 思い立って『映像の世紀』のテーマ『パリは燃えているか』の色んなバージョンに耳を傾けてみた。やや哀切感を滲ませた重く暗いゆったりとした導入の後、それが徐々に立ち上がってゆくよな展開があって、やがてそれは突如押し寄せる流麗荘重な大波となって私たちを襲い、どこかここではないどこかへと押し流してゆく。この、当時の実写映像をテーマに沿って編集したシリーズは特別なものだ。よくぞここまでのものを企画制作してくれたものと称賛するほかない。このシリーズのかなりが凄惨な内容にある。20世紀という時代がそういう時代だったからだ。人間という生き物への恐怖感ばかりがかき立てられかねないとさえ言えそうだが、映像として残されたこれが人間の現実実態でありウソも隠しもない本当の姿なのだ。ただひたすら凄まじい。だが、このシリーズの成功がそのテーマ音楽の見事さにも負っていることは間違いあるまい。地球上で起きた重く暗い様々な出来事を向こうに回して奏でられる流麗荘重な哀切とやがて押し寄せる痛切の津波。初めてこれに耳を傾けたときの全身を電流が駆け抜けるかのような衝撃は忘れない。この曲も結局は一人の作曲家だけの手柄ではないのではないかと私は考えている。作曲に詰まった挙句、編集されたデモ映像を何度も見返す中で作品が立ち上がってきたと言っている。この見事な曲をこの世に生み出し送り出したのは本当は誰だったのか? 今しもオープンカーに傲然と立ち上がった男が歓呼の声で迎える大群衆に向かって敬礼のポーズをとっている。私たちの歴史。私たちの生きてきた現実。だが、私は敢えて言っておきたい。まだ人類という生き物は諦めるにはあまりにも惜しい、と。それを万感の思いとともに励ましつづけてくれのがこの名曲だ。あらゆる絶望と向き合わぬ限り希望の光は見えてこない。この歴史にわれわれは責任を負っている。合掌。