“If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t・・・ ” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“If I couldn’t ever be gentle, I wouldn’t・・・ ”

 少々前のことになるが、3人の論者作家高村薫、政治学者中島岳志、日本文学研究者ロバート・キャンベルの3氏にインタビューし奈良で発生した銃撃事件を通して日本社会を考えるという番組があった。

 高村氏は、こちらが勝手に予期したものとは異なり常識的な範囲を大きく超えないというやや穏当な内容になった。推察するに、番組の趣旨や割り当てられる時間を考えた上であのような話し方になったのだろう。事件の勃発を知った直後から作家という立場からだけではなく事件を様々な角度から子細に眺め、周辺事情や背景も勘案しながら深く分析を試みなかったはずがない。だが、番組の趣旨などを考えた上でそういうアプローチからの話にはすべて触れないことにしたのではないかと思った。そこには極めてデリケートな問題群が溢れていて、かいつまんだ話で語るには不適当だと判断したからだろう。それで、立場を一般市民の目線に定めそこから語ることにしたように見えた。その結果、出てきた言葉が公正であり注意深く善く生きるだったのではないかと思う。だが、私個人の勝手な推測になるが、話された内容とは別に語る作家の表情などから察するに作家の絶望は深いなと思わずにはいられなかった。話すべき言葉を探るかのように時折宙を見つめる眼差しには隠せぬ戸惑いや漠とした不安まさにprecarityのようなものまで感じてしまった。この事件に限らず作家自身にとってもそれほど現在の人類社会においては思いがけないことが立てつづけに起きているということではないだろうか。コロナ-ウクライナ危機というある種終末的な事態に見舞われる前の作家ならもっと力強い眼差しで確信に満ちた見解や見通しを語ってくれたに違いない。だが、現状はあまりにも不透明で流動的で複雑にすぎる。作家の中にかすかに見えてしまった底知れぬ不安や危機感のようなものに私自身も鋭く共振してしまったようだ。・・・だがまあ、これはすべて私の勘違いや思い込みであるに違いない・・・と思いたい。今はそれをひたすら願うのみだ。

 中島氏やキャンベル氏がそれぞれの専門の立場や観点から語られたことにも感ずるものや考えさせられるものは多々あった。だが正直、番組全体からほとんど希望の光のようなものを感じ取ることはできなかったと言っていい。むろん、番組への批判の意味は一切ない。ある意味それは予想の範囲内だったとも言えるだろう。人間的温もりに溢れた優しさや心の行き届いた作法や小さな出来事にも注意深く送る日々が間違いであるはずがない。だが、そういう穏当なあり方を積み重ねることで間に合うような状況なのだろうか!?ということだ。気がついてみれば、一国の政権党が強かな寄生虫に半身を冒されていた。尋常な事態ではない。だが、当事者たちに限っては多少の困惑や焦りは見せながらもノホホンゆるゆると呑気の極みだ。どうやらわれわれを舐めるということすら失念してしまっている気配さえある。日常になりルーティン化されたものは意識にも上らないということだろう。まったくやれやれだ。是非とも物忘れ外来にいらっしゃることをお勧めしたいが、まあこれも聞く耳にすら届くことはあるまい。もっと忙しいことが他にいっぱいあるからだ。わが身大事大明神! 誰にも生きる権利があって、仕事を失いたくないという強い気持ちも実に生物学的に普遍だ。だだ、そうであるのであれば、ま、金輪際決してミンシュシュギなどという呪文は口にされないことだ。これだけは強く要望しておきたい。

 あの不気味に鈍くくぐもったようなずっしりと重い銃撃音が告げたものが一体なんだったのか? それを子細に検証する、検証できる、そんな未来は本当にやって来るのだろうか? もしそれがあるのだとしたら、遡ってあのときの未来にも希望はあったのだとは言える。だが、こういう思考そのものがある種の狂乱であり錯乱だ。そういう未来があるかどうかなどではない。端的に、われわれにその力、自己の現状を真正面から受け止め真っ正直に真っすぐに疑い得る健全な全身態勢があるかどうか?だ。遥か昔、一人の友人が呟くように言った言葉、“究極、人間にとってもっとも大事なことは自己を正しく疑えるかどうか?じゃないかな”はそれ以降の私に深く刻まれそして消えることなく残った。自己を客観視すると言葉で言えば簡単だが、実際はこれほど難しいことはない。自己を検証することほど困難な作業はないからだ。それには補助としての鏡が必要だ。私は個人的にこれからを生きる幼い世代のことを深く考えるということがもっとも適切な鏡になるだろうと思っている。私たちは、父親たちと引き裂かれた脅えと不安を滲ませた眼差しをカメラに向け身を震わせる子供たちの胸痛む姿を散々見せつけられたばかりだ。そこには、如何なる釈明も受け付けない断固とした判決、“間違ったことが起きている!”という宣告が響き渡っていた。これ以上の説明が必要だろうか? 人の世において子どもたちから笑顔を奪うことほどの重い罪はない。それはすべて己を疑うという人間としてもっとも肝要な作法を身に着けなかった者らによって犯されている。真の民主主義社会というものは、この自己検証の柱を共有する人間たちによってしか成立することはない。明るみになった己の不明や不見識や失態を詭弁を弄して誤魔化そうと悪あがきする者らに一体なにが期待できるというのだ!?・・・しかし、計り知れないほどに容体は重い。それがあの高村氏が図らずもその全身で仄めかしてしまったものの正体だ。歳月をかけ入念にここまでの病状に陥ってきたのだ。一朝一夕にどうにかなるような病状ではないのだ。私たちが日々体感しているのは、船が沈むみしみしという忍び泣きのような軋み音だけ。私たちはなにかを失ったのではあるまい。なにかを決定的に怠ったのだ。それこそ己を正しく疑うという作業であり作法だろう。被災者に炊き出しの食べ物を手渡すさきにはへりくだり心から丁重に差し上げるようにしなさい。マザーの献身の精神と見事にぴたりと重なっている。“もっとも憐れな者とは自己の犯した罪や愚かしさに気づけぬ者たちだ”・・・と誰かが言っていたっけ。こんなことは言いたくはなかったが、民主主義という理念は所詮人間という生き物には無理な相談だったのだろうと思うようになった。だからといって、人類がこのまま滅びるかどうかは分からない。極めて危機的な段階にあることは間違いないが、希望することを止めたらそこでお仕舞いだ。高村氏の絶望は深いかもしれない。だが、決して諦めたり放り出したりする人ではない。今こそ、この危難の中で乱れた足元を立て直し再建と再生を開始するときなのだ。それには覚醒する人々が増えつづけることが絶対条件だ。端的に正当であるということと正当化とは全く別のものだ。見分ける聞き分けるは決して技術ではない。全身で感応する感覚だ。これにも子供たちの笑顔はもっとも有効な鏡となる。そもそも少子化とは、未来の子供たちがここを拒絶しているということではなかたのか? 子どもたちを希望の灯台とする。そこにしか未来のドアはない。合掌。