“後悔” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“後悔”

*一年前です。

 

〔“2021.3.6という朝の・・・狂乱”-2021.3.6〕

 Sontaku-Omoneri-Obie- syndrome。麗しくも完全完璧なる病だ。絶望とは死に至る病である。完全完璧なる病の終着駅は絶望駅だ。絶望とは希望ある明日光差す未来の餓死だ。あらかじめ宣告されていた窮死。不可思議なのはその先だろう。どんちゃん騒ぎの大宴会が始まるのはそこからだ!ということだ。そこにころんと転がっている私たちの現実実相。生命が決定的に歪んだ瞬間にネジレる構造。そこから生き地獄という酒宴は始まる。誰も抜け出せないのではない。誰もが抜け出すという発想それ自体を奪われるのだ。これが私たちの完全完璧なる病なるものの正体だ。誰もが現実実態を反省的に凝視する目を潰されている。そこにあるのは迷宮ではない。自分がただ単に目隠しされて吹きっさらしの荒野に放り出されていることに気づかないだけだ。目隠しをはぎ取り、とくと周りを眺めてみることだ。そこに広がる廃墟と瓦礫ばかりのほんとうのほんとうのわれわれの世界というものを。私たちは正義や善を語る前にまず人間に戻るべきだろう。言い換えれば、当たり前のことを当たり前の指定席に戻してやることだ。“それッやったらダメだろッ!”と大書されたドアの前からは毅然と引き返す。ただそれだけのことではないのか? 病というものは病者自身が真正面から向き合わぬ限り快癒は難しい。その執務室から下界を見下ろしてみるといい。そこに出来上がったサジの山を。そのうち富士を超える・・・ことはまあ無理だろう。その前にここが滅びる。合掌。

 

*8年に迫る悪夢・・いや超出来の悪いブラックコメディーのような地獄の日々がだらだらっと終わり次の世が訪れていた日々だった。まるで神仏から仕掛けられたタチの悪いドッキリ特番かのようなステージが主役を替えながらたらたらずるずるとつづけられているようだった日々。ふて腐れて斜めになっていても不思議ではなかっただろう。だが、ほとんどはまだまだ可愛いここだけの話だったのだ。外の世界と共有し同病しているものも多かったのかもしれないが、抱えた気分と広がっていた視界はごく限られたものだった。振り返り思い返してみれば馬鹿みたいにのほほんと幸せな小春日和の日々だったようにも思える。突如暗転が訪れるかもしれないみたいな巨大な不安の黒雲などまだ窓の外には広がっていなかったのだ。

 何度か権力の健全化みたいなことを言ってみたのだが、それもどうなのだろうと思い始めている。まるで太っちょに捕まった星泉かのように絶体絶命の薄氷の上でおろおろびくびくひやひやと日常を送っているのだ。気鬱の澱だってうず高く積もろうってものだ。思いのたけを発散するかのように機関銃でもぶっ放すことができたらどんなに気持ち・・・いやどれほどの快感を味わうことだろう。だが、つまりはそういうヒトいう生き物が有する傾向が今を招いているのではないかとも言えるのかもしれない。私たちは誰もがカインの末裔だったということだ。そこにあるカードの表裏に記されているのは、“嫉妬による陰湿な怒りの暴発”と“手段としての死の発見”だ。トラやライオンたちも他の生き物を捕らえては殺しているだろう。だが、あくまでもその死は結果だ。彼らに与えられた生きる条件の中で必死に生きる過程に避けがたく付随することであってそれ以上でもそれ以外でもない。だが・・・われわれヒトは怒りの爆発、嫉妬の嵐に呑み込まれて逆上し、そのマグマのほとばしるままに相手を殺す。ヒトという生き物にはそういうスイッチがあるのだ。この者は許すことができないと全身が燃えたときスイッチが入る。むろん、誰がでもいつでもではない。こういう自らの内で吹き荒れる感情爆発を繰り返す中で見つけられた観念こそ“人道”だ。人間倫理と言ってもいい。それはブーレーキとして生まれたものだ。“それだけはやめよう!”。怒りに任せて殺し合っていては平穏な暮らしなどできないではないか!ということだ。この相互の約束がやがて誰もが戒めとして心すべき掟となり順守すべき法となった。力づくで他人のものを奪うのはやめよう!もその一つだろう。こういう小学生レベルの話をしていると急に泣きたくなった。余りにも酷いことが起きているからだ。CNNが時々刻々動きつづける情勢を伝えつづけている。やはり中でも激しい脅えの中で不安以外の一切の表情を失い、身を縮めている子供たちの今を伝える映像だろうか。もはや言葉もない。母親たちは饒舌だ。まるで機関銃でもぶっ放すみたいに。せめて言葉にしなければ心ガ壊れてしまうからだろうか。その腕の中にある頼りない生命たち。この光景を万の弾丸にして撃ち込んでやりたいものだ。

 

         海

               1997.5.24

 

   あの小さな睛から

 

   海が溢れるとき

 

   わたしは一瞬全世界を後悔する

 

   燃え上がる脳髄の熱で

 

   忘却するのだ

 

   後悔するのは

 

   本当は誰であるかを

   

                 合掌*