“無題” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“無題”

 欲望と野心と怯懦と軽薄と追従と隷属的忖度と・・・もういいか。・・・・・・・。春風にのって舞い散る桜吹雪、呆然と見上げる人々の、憤る心が疲れ、呆れ返る心が溶け、未来への光が細くなる。

 数日前に下げたスダレとカボックの葉影を映したカーテンも風にゆれている。ジュリー・ロンドンの声は相変わらず気怠い。まるでいやいや歌っているみたいに。そんなはずはないのに、そんな気分がやけに古い昔を思わせる。先々に向かって見通しは暗くとも、かくまで絶望的ではなかった時代。もう少々の不祥事には驚かなくなった人々。アパシーとアンニュイと惰性的気分とある種の熱病的喝采。川もレールも目指すところは一つだ。鉄条網と高い塀と深い穴。ま、そういう時代ではないが、イメージはそういうところだ。ジャブジャブと襲うデジャブ。崩壊を食い止めるための祭りが津波のようにすべてを破壊する。ヒトが何度も学ぶのは、決して過去には学ばない!という断固たる伝統だ。季節がめぐるように、エンドレスの火と血と土煙の祭りはやってくる。だから、準備せよ!! もはや持ち出すべき言葉はない。だから、準備せよ!! 持ち腐れた宝物を引き換えにしっかりと肩を組み歩調をそろえて滅びてゆく。あらゆる思想が支流化し、流れは一本になる。言葉が整理され、考えるという習慣が整理され、人々もついでに整理される。ふと気づくと、ぽっかりとした廃墟の只中で佇んでいることだろう。そこにある重ったるい悔恨は、どこからくるだろうか? ぶつぶつととり残された不運を嘆く呟きだけが聞こえている。塵埃を巻き上げながら風が吹き抜けてゆく。路傍に座り込んだ老人が誰へともなく訴えている。“昔聞かされた話とそっくりだよ!”。

 仕方がないということはある。自らが身をもって経験したことがないものから学ぶことなどできはしないのだ。今朝の新聞に一人の赤ん坊が無事に脱出したという記事があった。そのささやかな知らせが無暗に嬉しかった。だからといって、明日の希望がふくらむわけではない。私たちを待っているのは一つの罰だ。愚かな月日を漫然と生きた報いとしての。合掌。