“重箱の底の暗がり” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“重箱の底の暗がり”

 全体に流れる空気感には好感を持っていたので、このほど放映された『最後の忠臣蔵』をまた観た。・・・心打つ場面も多いのだが、やはりその終幕には強烈な違和感を持った。原作の内容を詳しく知らないので映画に限って論ずるのだが、あの瀬尾孫左衛門の最期にどれほどの人が何得したのだろうか? それともこう問うべきなのか? あの死に違和感を持ったのは私だけなのか? 『レディ・ダ・ヴィンチの診断』の橘志帆が最愛の娘と会えなくなることを受け入れてまで手術を受ける決意をするのは、人間としての論理だ。亡き娘の示したヒューマニズムの精神に応える意味でも難しい手術の執刀医として自分の身体をそれに耐えうる状態に戻さねばならないと結論したからだ。その決意を固めたとき、彼女は同時に、それが亡き娘の思いに応えてという事情をも超えて一人の医師としての使命感・職業的責務という一段上の次元で判断している。それが一人の人間としても医師としても論理的な結論だったからだ。さて、瀬尾氏の場合はどうか。代々仕えた恩義厚い主人からの下命で、生まれたばかりの赤子の頃から手塩にかけて育て上げた、今や血を分けた愛娘ともいえる姫の祝言のその真っ最中にどうして腹を切るだろうか??? 残された娘にとって、生涯に何度もない晴れの日が、一人の男として慕いもした育ての親の命日になるなど、どうして受け入れられるだろうか? これから長きに亙り擦り切れるまで身にまとって欲しいと願いながら縫ったあの着物に込めた熱い思いは一体なんだったのだろうか? その二人にずうっと寄り添いいつか思いをかける男と添いたいと願っていた女の思いはなぜこうも無残に打ち砕かれねばならなかったのか? 挙げれば切りがない。これらの疑問になにか無理はあるだろうか? 個人的な見解になるが、瀬尾のその死を境に状況は激変し、大石の遺子“可音”は余りの嘆きに床に伏しそのまま帰らぬ人となり、この騒動が世に喧伝されて、生き残った赤穂の浪士たちがさらに背負わねばならない負い目となる、そんな可能性すら感じる。前回科学の基底は論理だといった。論理とはなんだろう? 人間独自の発明品や発見物だろうか? そうではないだろう。人間の精神現象が世界現象と向き合い、日々体験し、その体験が知識の集積として蓄積吟味される過程で一段一段高められ深められていった、人間ならではの世界モデルの構造説明をするための法則、それが論理だ。季節は一定の周期で反復されるとか、水もエネルギーも高きより低きへと流れるとか、バランスが崩れかけると復元力が働くとか、そういった法則性のようなものに沿って暮らす上での思考の規則だ。ごく初期的な段階では、後に迷信と呼ばれるような言い伝えの類も日々の暮らしの重要な指針だったはずだ。人間が人間であるということの自己認識を深めてゆくのも全く同じことだ。中でも最愛の家族を喪う苦しみや嘆きは、人間のあらゆる営みに多大な影響を与えたに違いないと私は思っている。人間が論理的にこのごとを考えるというのは昨日今日始まった精神習慣ではない。ヒトが人間へと高まり成熟てゆく過程で、その主柱として機能しつづけた生命線だったはずだ。論理を外れるとロクなことにはならないからだ。瀬尾氏の判断は、時代を問わず一人の人として論理的合理的なものだったと言えるだろうか? 主命をやっと果たし終えたから?で?それを知ることになれば身をよじって嘆くに決まっている娘のことはそっちのけで、そのめでたい祝言の真っ最中自刃することも主命には適っているいると?長年身を潜めて下命を忠実に果たした忠臣たる者が本気でそんなことを思っただろうか? 映画では、これでやっと亡き主人大石の許へいけるという達成と安堵の喜びのような表情として描かれる。この作品はアメリカでも公開されたようだ。このエンディングを観てアメリカ市民はどのような感想をもっただろうか?日本に限らず人間世界にはどこにでも主従関係というものはあり、主人に仕える者の心構えみたいなものも意外と似通ってはいる。だが、このケースは・・・。個人的な勝手な推測になるが、これを制作した人々の中には、美しい世界をスクリーン上に実現したいという強い思いがあったのではないだろうか。私は、そこに凄く危ういものを覚える。最後に少し思い切った解釈を。あくまでも論理的にだけ解釈するなら、そしてこの瀬尾という人物をごく合理的で論理的な人格として推論するなら、その最期のあり方になんらか後に残す意味のようなものを込めたとしたなら、それは身に起こった理不尽に対して死をもってする抗議以外にはないはずだ。そうではないか? 手塩にかけて育て上げた一人の娘に向かってその土壇場で思いもしなかった痛撃を加えるに等しい所業に及んだのだから。・・・多分賢明な寺坂のことだから瀬尾の死をすぐさま可音に伝えるようなことはしなかっただろう。そうあるべきだし、そうあったにちがいない。だが、それが長年に亘って伏せ得るとはとても思えない。結局寺坂の願いは届かなかっただろう。数日にせよ数か月にせよ、最愛の父とも思った人がその当日に自刃して果てていたことを知った可音がその後を無事に幸せに生きられたとはとても思えない。終生暗い影を落とさなかったはずはない。少し強い調子の批判みたいなことになってしまったが、いつかは言っておきたかったことだ。私の推論にもきっと盲点や穴はあるだろう。どこかでこちらが十分に納得できる反論に出会うことでもできればそれはそれで幸いだ。合掌。