“数えてみれば6回。仕方なかったのです。こういうことはもう2度と無いのでしょうか?” | “終末の雨は涙色”改め“再生への風”

“数えてみれば6回。仕方なかったのです。こういうことはもう2度と無いのでしょうか?”

 女性の美といえば、“ヴィーナス”だろう。愛と美の女神だとされる。もう少し言い方を変えるなら、世代を継いでゆく生命の源だろうか。身ごもり、育み、産み落としたすべての子供たちにとって、生涯ふくよかでやわらかで温かな存在でありつづける(病んだ例外については考えないことにする)。その美の頂点を具象化したのがヴィーナス像だ。優美な曲線が織り成す神々しいその姿は永遠に見るものを魅了しつづける。対比して、男の美は、古代ギリシャ彫刻や仁王像、十二神将などに見られるような、鍛え上げられた筋肉であり、それが見せつける力の誇示だろう。その姿の向こうには、明らかにある種の暴力が暗示されている。迫り来る災厄や敵から守るのは、頼りない幼い生命であり、非力なヴィーナスたちだ。しかし、歳を重ねれば、いかな豪傑とて寄る年波には勝てず、あらゆるものが衰え始める。ただ一つ、男というどうにもならない生き物のコアには“永遠の少年”というヤツが息づいている。これだけは、終焉のそのときまで老いるということを知らない。思いがけず自分の人生に入り込んできた若い娘に年甲斐もなく惹かれてゆく老優、戸惑いはやがて本気の恋心へと暴走してゆく。映画『ヴィーナス』で、この、老境に入った俳優業の男を、すでに襲いつつあった老醜も隠さず堂々と粋に知的に演じたのが、あのピーター・オトゥールだ。今時の小娘にとって、当初は胡散臭いジジイにすぎなかった男、だが触れ合いを重ねるうち、若きヴィーナスは、その老人の中に生き生きと弾む少年の姿を発見する。アポロンにとって、ヴィーナスとはなにか?それは、決して知りえない世界の半分だ。永遠に謎のままでありつづける世界の半分。だが、永遠の謎であるがゆえに、永久に魅惑的でもある世界の半分。それはまた、世界自身が失った自足の静けさへの悔恨でもある。なぜヴィーナスの後ばかり追いかけるのか?究極アポロンにとってそんなことはどうだっていいことだ。ヴィーナスの出現によって涸れていたはずの生命の井戸から再びこんこんと湧き出す生のエナジー。少年はめくるめく最後の春を駆け抜けて、恋するヴィーナスの腕の中で息絶える。評価は高かったが、大作というものでもなかったので、知らない人も多いかとは思うが、オトゥールの晩年を飾った快作だ。

 我が家で、世界の映画作品の中から我が家的名作傑作を選んでみようかという話になった際、トップ10に入れるべき候補として、『東京物語』『その男ゾルバ』『ストーカー(orサクリファイスorノスタルジア)』『炎のランナー』『ユリシーズの瞳(or霧の中の風景)』『花様年華(or2046)』『人間の条件』『泥の河』『ブラザー・サン シスター・ムーン』『マザー・テレサ(オリヴィア・ハッセー主演)』『アカルイミライ』『8 1/2(or道)』『フィツカラルド』『大地と自由(or麦の穂をゆらす風)』『12人の怒れる男』『アパートの鍵貸します(“あなただけ今晩は”も捨てがたい)』『ローマの休日』『ハスラー(or明日に向って撃て)』『風の谷のナウシカ(orとなりのトトロ)』『グッドモーニング・バビロン!(orカオス・シチリア物語)』『鉄道員』『ミツバチのささやき』『曼陀羅(or風の丘を越えて/西便制)』『神さまこんにちは(orあの島に行きたい)』(やれやれ、この辺りでやめておこう。たまにこういう遊びをするが、大概後で“あれを忘れてた!”となる上に、続々と新作が作られているのだから、永遠に決められるわけなどないのだが)などとともに、欠かせない一本として挙がるのが彼ピーター・オトゥールの『アラビアのロレンス』だ。壮大にして壮麗な作品だ。一人の風変わりなイギリス青年の知性と冒険心と狂気を見事にそして奇跡的に演じ切ったオトゥール。すでに映画史という枠も超えていたと言っていいだろう。この作品の中で、これまた奇跡的にゾルバ(『その男ゾルバ』)を体現してみせたアンソニー・クインが競演しているのも偶然ではないような気がするくらいだ。演技を超えた、生きられた演技。映画の憎いところは、そういう奇跡を何度でも何度でも繰り返し目撃できるところだ。真っ赤に燃える日輪を背景にとぼとぼと歩を進める人らくだ一体のシルエット。もうそれだけで胸がわくわくしてくる。この時代もうあのような作品が作られることはないだろう。奇跡的な巡り会わせと集結だけではない、それが生まれるべき時代と遭遇しなければ、その奇跡的な作品がこの世に産み落とされることはない。今のこの時代は、どういう作品を用意し、また制作されることを待っているのだろうか? 映画作品であることを超え、世界の覚醒と再生を宣言する奇跡的な作品。その一作を待ちたい。

 心より、ご冥福をお祈りいたします。合掌。

 

*本日の訂正 12/14“一つひとつ終わってゆく。秋” 「演じられている役柄との簿妙なズレ」→「との微妙なズレ」。お恥ずかしい限りです。m(_)m