●真田十勇士③(穴山小助)

穴山小助 (穴山小介)~槍の名手(真田十勇士) – 戦国武将列伝Ω 武将辞典 (senjp.com)

真田十勇士 - Wikipedia

吾妻与惣左衛門と穴山小助の娘 | 武将の道 (sanadada.com)

三井景国(三井覚左衛門景国) 最後まで真田幸村に従った忠義 – 戦国武将列伝Ω 武将辞典 (senjp.com)

 

穴山信友(1506年~1561年1月1日新暦)

  正室・武田信虎の次女・南松院殿

    穴山信君(のぶただ。彦六郎。信良。梅雪。武田左衛門)

    穴山信嘉(のぶよし。彦八郎信邦)(?~1567年)

         (主君・武田義信。義信事件により自刃する)

   側室・理性禅定尼(りしょうぜんじょうに。父母不詳)

    穴山彦九朗(1547年~1559年)

    穴山信光?(玄蕃げんば。源覚)(1548年~1585年)

           穴山小助安治

 

●(穴山信光の子、穴山信友というのは、諸説あり)

穴山信光(小説上の人物?)(小兵衛。源覚。義宗?)

     (小左衛門。1548年~1585年)

穴山小助(安治。岩千代。雲洞軒うんどうけん)

     (漢方医。槍足軽隊長)(1568年~1615年6月3日)

    娘(正室・我妻与惣左衛門。あがつまよそうざえもん)

    穴山新兵衛(岩千代。1588年~1615年)

 

◎信光・小助、1582年、甲州征伐後、浪人となる。

◎穴山小助。1615年、大坂の夏の陣。火龍軍の棟梁として奮戦する。なおかつ、真田信繁の影武者の1人として討死する。

◎穴山小助の娘は、阿梅(継室・片倉重長)・阿菖蒲(正室・片倉定広)・御田姫(継室・岩城宣隆)、片倉守信(大八)、三好幸信とともに、片倉家で育つ。

◎我妻与惣左衛門(佐渡。?~1660年)。

    主君・真田信繁・三井景国・片倉重長