●真田信繁の家系図⑤(岩城氏。顕性院)

真田氏 Reichsarchiv ~世界帝王事典~

岩城氏 Reichsarchiv ~世界帝王事典~

岩城氏 - Wikipedia

桓武平氏〔繁盛孫・岩城〕-公卿類別譜(公家の歴史) (geocity1.com)

◎陸奥国岩城郡(福島県石城郡いわきぐん)。

 

梅小路家(名家) Reichsarchiv ~世界帝王事典~

 

妙慶寺 – 由利本荘市観光協会 (yurihonjo-kanko.jp)

妙慶寺 (由利本荘市) - Wikipedia

妙慶寺(秋田県由利本庄市岩城)。

1629年、於田の方が、真田信繁・隆清院のために建立する。

 

●真田氏。

真田信繁(1567年?~1615年)

  側室・隆清院(1584年~1640年)

    顕性院(けんしょういん。直なほ・於田おでん)

    真田幸信(三好左次朗)(秋田真田家)

         (1615年9月6日新暦~1667年)

         (主君・岩城宣隆。出羽亀田藩主)

顕性院(1604年~1635年7月24日新暦)

  継室・多賀谷宣家(岩城宣隆。兄・佐竹義宣よしのぶ)

           (1584年~1672年)

    岩城重隆(庄次朗)(1628年~1708年)

    寂蓼院(じゃくりょういん)

    養子・多賀谷隆経(戸村義国の次男)

    養子・多賀谷隆家(隆房)(戸村義国の3男)

    猶子・真田幸信(三好左次朗。左馬之介)

 

◎1614年、真田信繁、隆清院・於田(12歳)、大坂城に入る。

◎1615年3月頃(大坂夏の陣前)、隆清院(妊娠中)・於田、嵯峨野(さがの)にいる、亡き豊臣秀次の母・瑞龍院日秀尼のもとで暮らす。隆清院は、姉(於美屋御前?)の嫁ぎ先、梅小路家(初代・梅小路定矩うめこうじさだのり。1619年~1680年)でお世話になる。ここで、真田幸信を産む。

◎京都市下京区梅小路周辺。

 

隆清院の姉・於美屋御前の経歴は不詳ゆえ、年齢的にも梅小路定矩ではなく、梅小路に居住していた公家(氏名不詳)のことであろう。

◎於田は捕縛され、伯父・真田信之の嘆願により、江戸城大奥で奉公する。3年後、京へ戻る。

◎1626年6月、京で佐竹義宣於田を気に入って給仕係として雇用する。その縁で、於田は義宣の弟・多賀谷宣家(岩城宣隆)の側室となる。その後於田は、弟真田幸信を京から呼び寄せて、岩城宣隆(2代目・出羽亀田藩主)を主君として従事させる。