●源頼朝の家系図①
●清和天皇(源氏)の家系図
NHK日本人のおなまえ(鎌倉殿の13人)
桓武天皇(50代)(737年~806年4月9日)
淳和天皇(53代) 恒貞(つねさだ)親王(廃嫡により出家する)
平城天皇(51代。へいぜい)(774年9月25日~824年8月5日)
嵯峨天皇(52代。さが)(786年10月3日~842年8月24日)
淳和天皇(53代。じゅんな)(786年~840年6月11日)
仁明天皇(54代。にんみょう)(810年~850年5月6日)
文徳天皇(55代。もんとく)(827年~858年10月7日)
清和天皇(56代。せいわ)(850年5月10日~881年1月7日)(清和源氏)
⑥貞純親王(さだずみしんのう)(873年~916年6月10日)
源綱基(みなもとのつなもと。六孫王)(?~961年12月30日)
◎嵯峨天皇の妻子が多すぎるため、扶養に費用がかかりすぎるため、子女たちを天皇家から離脱させる。天皇家の源流とする。
◎平高望(たいらのたかもち)が、平安京から「平」の字をもらい受ける。また、朝敵(民部卿宗章の朝臣みんぶのきょうむねふみのあそん。宗常)を打ち破ったことで、平(たひら)ぐるということから、平氏という「姓」(せい。かばね)を天皇からさずかる。
※天皇(直近の親族含む)には、日本民族の頂点ゆえに姓・苗字がない。
子女は、親王(息子)や内親王(娘)、王・女王(未婚の成年皇族)などと呼ばれる。結婚により、姓(せい。かばね)が与えられる。
◎貞純親王の子息らで、天皇になれない人たちは、皇族の身分から離れて、家臣として天皇に仕える。その後、天皇から「姓」を与えられる。天皇から与えられた姓は、「の」がつけられる。「源頼朝(みなもとのよりもと)」など。
◎その地に住み着いて、その領地の名を自分から名乗ると「名字・苗字」となる。
臣籍降下(しんせきこうか。賜姓(しせい)降下・臣籍降嫁・皇籍離脱)により、天皇を支える軍事専門職(武士)となる。
◎平民・庶民は、名字をもたない。将軍・武将たちから、功労などにより与えられる。
◎明治に入り、国民全員に苗字が与えられる。自分から、名乗ることができた。
◎平高望(高望王たかもちおう)らに、平姓を与えられる。