一面のいいことで、いいことをしたと思っている人が苦手。

 

被災地でこんなことした!

こんな運動をしているから応援してあげて!!

この人を助けてあげて!!!

 

などなど

 

世の中は複合的に絡み合っている。

 

目の前にある事案を改良や改革を行っても、裏ではしわ寄せが起こり不幸が巻き起こることもある。

 


これってバタフライ効果にも通じる。

 

単面で物事を判断せずに出来るだけ多くの関連事案を鑑みて「いいこと」を選択しないとね!!

オリンピックで日本のメダルラッシュで沸いている。

日本選手には、後半戦も頑張って貰いたい。


今回は、格差について考えてみたい。


最近、貧困により「教育の格差」が大きく取り上げられることが多くなり、社会問題になっている。

同じ様にスポーツにも格差のようなものが存在すると思う。

オリンピックを見ていて、彼らは、どれだけの投資の上に成り立っているんだろうとつまらない想像そしてしまった。

でも、よく聞くのは、親がその競技をやっていた2世選手や家業としてそのスポーツに教室を行っている選手が多くいること。

単純に、環境や練習量がものをいう個人競技において、幼少期からの環境で大きな格差が生まれている。


卓球や柔道、レスリングといった競技で、一般家庭で同じ練習量を確保しようとすると、家庭を犠牲にするか多くのお金を投資しなくてはならない。

ある程度の選手になると、協会や役所、企業などからの支援を受けられるが、そこに行くまでに才能がありながら挫折した人も多いと想像します。


それを言い出したら何処の国に生まれるかも「格差」だと言えばそうなる。

でも、あえて
親が、その競技の教室を経営している場合は、同じ教室に入らせず、他教室に入れさせ、他選手との練習時間や月謝面での格差を無くすくらいしないと、格差が固定化する。


といっても、これを実現すると競技レベルは確実に下がるだろうな・・・

先日、神奈川県相模原市で19人が刺殺される事件が有った。
報道を見ていると、良識ある人々のコメントのオンパレード。
背景や思想に踏み込んだものはない。

私の家族や友人に聞いても「考えたくない」「考えられない」と言った意見が多く、思考停止させ自分の想像の外に追いやってしまっている。
この事件をそれで終わらしていいのか?
色々な面で自分なりに考えてみた・・・

◆雰囲気の思考停止

犯人に共感してはいけないという雰囲気と、障害者の方々に過剰に愛情を注がなければいけないという雰囲気に支配されている。

本当に犯人に「本音」や「深層心理」で共感する部分はないだろうか?また、愛情を注ぐほど身障者に普段から興味が有っただろうか?
今までの人生を振り替えって、身障者のことで悩んだことがあるだろうか?

例をあげて考えてみよう・・・
自宅の近所にあの施設が出来たとしての反対しないだろうか?
一人の人間、個性として受け入れるだろうか?
ベンチの隣に怪しい人が座っても席を外す人が多いのに、精神を病んでいる(個性とも言う)人に優しくできるだろうか?

大半の人は難しいと思う。
それが現実だと思う。

潜在的に犯人と同じ差別はしている・・・

もっと、深くかんがえてみよ・・・
被害者の大半は、重複障害者という。
過去(?)も現在も未来も生産性(納税)が見込めないという現実と、これからも社会で支え続けないといけない現実。(ここを犯人は大きく誤ったかな・・・)
勘違いしてはいけないが、人としての優劣ではなく、何処まで社会が個人の人生に関与するかの問題だ。

彼ら彼女達の意思で支援してもらいたいと願うなら、出来るだけそれに沿ってあげたいと考える。

しかし、意思決定が出来ない方々は、周りがそんたくしてその意思決定を代行している。

それは誰の意思だ?
対象者の要望か?
保護者の願望か?

本人ではない「願望」が正しい前提で話が進むことへの疑問。

私は、本人以外が判断するようになった段階で、家族の責任を明確にして、負担も相応に負うことも必要だと思う。
社会はそこまで人の人生に関与する必要があるのか??

考えない、考えてはいけない雰囲気を考える切っ掛けかも知れない。


◆家族だからという絆?

タブーだと思うが・・・深層心理で「ホッ!」っとした人はいないか?

家族だからと言って絆が強いという幻想。
今回の被害者に対してdisる意味ではなく、中には肩の荷が下りたと考える家族も居るかもしれない。

高齢者を施設に入所させる時の心理も、あの施設に入院させる心理も大きく差がないのかも知れない。

手に負えなくなったったから預けた・・・それだけかも知れない

インタビューで「かわいい我が子」の様なコメントが多く聞こえたが、実際のところ「厄介払い」をしてしまい、今回の事件に合わせた合わせた負い目も相当あるのかも知れない。


異常な事件だから、犯人の心理が理解できないと簡単に片付けるのではなく、事件の裏にある歪みを見ることで、本質について考えてみてはどうだろうか・・・

纏まらない・・・
子どもの頃、アメリカは絶対王者で、この先も王者で君臨するんだろうなって思っていた。

でも、この数年、あの国も後退局面に差し掛かっている様子。

なぜか?

私なりに考えてみた。


それは、伸び代が無くなったこと。

伸び代とは、新しい技術を生みだし発展するのではなく、いろいろな障壁を排除することによって生み出された伸び代のことだ。

あの国は、自国にも他国にも「規制緩和」を望み、緩和さてきた。

この緩和が曲者で、一時的な領域確保には有効かも知れないが、恒久的な向上には繋がらない。

規制という柵を張り巡らされていた社会で、緩和という輝かしい新しいエリアを手に入れる。

真っ先に、エリアに入り大きな利益を得るものが生まれる。

右肩上がりの経済は、数年するとその新たなエリアも埋め尽くす。

すると、また新たな規制を取り払えという。

また、エリアが広がる。

また、埋まる。

この繰り返しで、アメリカは大きくなってきている。

いつまでも打出の小槌が有るわけもなく、国内の規制が少なくなると

かつての植民地時代の様に外国の規制に目を付ける。

各国に威圧的に緩和させ新たな伸び代とした。

そして、多くの規制が取り払われて、アメリカ型の伸び代を失った。

本来は、規制緩和ではなく、努力や改良で乗り切るところを安易な方法で乗り切って来た。

これからは、本当のアメリカの力が試される。

ルールを変えたり、難癖を吹っ掛けたりしないで、自国の産業の底座さえに力を入れることが、アメリカ復活の鍵なのかもしれない。



大きなお世話かな・・・・
シリア難民。


日本は難民を受け入れろ、閉鎖的だ!!


と言う人も多いが、本当にシリアの人が日本に来たいのか??




支援金を送るのも一つの援助かもしれない。


でも、いつまでも援助金は出せない。


それなら、220万人も受け入れているトルコの製品を買う事が


間接的ではあるが継続的な支援にならないだろうか?




困っている人にパンを直接あげるより、パンの作り方を教えてあげよう的な・・・




支援金は、急場しのぎにはいいかもしれないが自立は出来ない。



難民の皆さんが難民なりに自立して、所得を得る事が出来るように



トルコの企業や商店が継続的に難民の皆さんを雇用出来るように



トルコ製品を買うことも立派な援助になるのかも・・・