本日は、最近読んでおもしろかった書物です。
・宮部みゆき 「蒲生邸事件」(文春文庫,2000)
2月に当ブログの歴史モノで、二・二六事件を記事にしたおり、ブロ友さまに紹介していただいた本です。
大学受験に失敗し、予備校を受けた浪人生・孝史が、あろうことか泊まっていたホテルで火事に遭い、タイムトリップ能力を持つ不気味な男・平田に救われ、昭和11年2月26日に飛んでしまうSF小説です。
そこは予備役大将・蒲生憲之(架空)の邸宅。
平田の指示で身元をとりつくろい、乏しい歴史知識でなんとか事態を把握・整理しようとするも、その当夜に蒲生大将が密室で落命してしまう。自決なのか、果たして・・・。
タイムトリップとミステリーが合体した、スケールの大きい筋立てで、たいへんおもしろく読むことが出来ました。
二・二六事件は、ここから帝国時代が地獄の一丁目を転がり落ちる一里塚となっており、現代からすると、孝史の感想のように 絶対生きたくない時代 ということになります。
平田はあえてこの時代を選んだわけですが、人間が人間らしく生きたいと願う気持ちに時代の制約はない という主旨には納得できるものがありました。
現代はあらゆる意味で自由が保障されており、その傾向はグローバルに広がっています。この歩みが止まることはないでしょう。
一方で、実は個人レベルではさして自由行為はない。生活環境で、おのずから決定されることが大半でしょう。
たとえば、われわれは明日にでも世界放浪の旅に出る自由がありますが、資金・仕事・家族はどうする と考えたら、実行は現実的にムリ。
つまるところ、自分で自由気ままに出来るのは、お昼に何を食べるか くらいじゃないでしょうか。それにしたって選択幅はせいぜい数パターンという(笑)。
別にそれが不幸とも不満とも思いません。心掛かりがなく暮せる日常にまさる幸せはないからです。
小説では、孝史が生きるべき現代と、平田が生きようとした戦前の世の中は、根本において違いはないと思わせるのですが、自由はおろか、個人の生存権にすら土足で踏み込んでくる社会を、“まがいものの神” 平田が一身に背負って終わります。