*1月31日エントリー の続きです。

 

 

 R大学文学部史学科の院生・あんみつ君ニコ、今回は近現代史のしらたま教授オバケとの歴史トークで、テーマは幕末・明治の熊本神風連です。

 

 本日は、脱退騒動と二卿事件 のおはなし。

 

 

 

 

鍋 おにぎり 日本酒

 

 あんみつ真顔 「しらたま先生、明治二年(1869)一月、横井小楠が暗殺されたことで熊本藩は動揺。横井の弟子たる実学党党員を藩役人に起用し、河上彦斎など敬神党を監視対象にしました。明治新政府は五月に函館五稜郭を攻略、ようやく戊辰戦争が終結します」

 

 しらたまオバケ 「旧幕府が完全に消滅するや、新政府内での内訌が始まる。ひとつに彦斎のようなラジカルの排外主義者が、新政府の開国方針に激怒したこともあれば、単に薩摩長州の中枢から外れたひがみもある。九月の大村益次郎の遭難はまさにそんな連中の毒牙だった(→「大村益次郎⑳」)」

 

 あんみつえー? 「藩の監視があまりに厳しいのに激怒した敬神党は、決起して熊本城を襲撃しようとします。しかし彦斎は藤崎宮で宇気比(うけひ)、つまりおみくじ占いをしたところ不可と出たので、中止して解散しました。こういうところ、ほんとにカルトっぽい」

 

 しらたまオバケ 「そんなおり、長州藩では騒動が起きていた。幕末に活動していた諸隊を解散し、農民も徴用した新しい常備軍を編成しようとしたところ、奇兵隊が反発したんだ。恩賞の不公平とか洋式兵備が気に入らないとかね。高杉晋作はすでに亡いので、このとき首領だったのは大楽(だいらく)源太郎だ」

 

 あんみつガーン 「本 ああ、彦斎が兵長を務めていた鶴崎の有終館にいっとき出入りしていた人物ですね。明治三年(1870)一月、大楽は2000名の兵士を集めると、徴兵に反対する農民一揆も煽って長門・周防・石見に及ぶ大規模反乱にヒートアップします」

 

 しらたまオバケ 「いわゆる <脱退騒動> だ。慌てた長州藩庁は前原一誠の干城隊を中心に鎮圧軍を派遣した。地元の争乱に驚いた木戸孝允は帰郷し、必死に仲裁・説得を試みる。すると西郷隆盛が単身、下関を訪れて木戸と談判したので、すわや西郷が味方してくれてると奇兵隊士は喜んだ」

 

 あんみつうーん 「しかし二月に前原と井上 馨の振武隊が山口で奇兵隊を鎮圧。大楽源太郎は九州に逃亡しました。目指す先は鶴崎の河上彦斎。かつて高杉晋作の厚い信頼を得ていた彦斎こそ奇兵隊の首領に相応しいと、協力を求めてきたのでした。彦斎は彼らを匿い、有終館の装備を提供します」

 

 しらたまオバケ 「脱退騒動は長州藩内のことだが、反政府士族の蜂起や農民一揆は全国規模で起こっていた。戊辰戦争の結果、幕府から薩長上級士と一部公家に権力者が変わっただけで、そのうえ近代化・洋式化で増税や兵役が増えるというのでは、かえって世の中お先真っ暗、という怒りだ」

 

 あんみつもぐもぐ 「それが新政府転覆を狙った一大陰謀 <二卿事件> に発展するんですね。二卿とは、元五位・愛宕通旭(おたぎ・みちてる)と宮内大輔・外山光輔(とやま・みつすけ)のこと。ふたりとも偏執的な攘夷派公家で、維新後は新政府に参画しましたが、開国方針に憤慨し辞任していました」

 

 しらたまオバケ 「彼らは新政府を転覆し、京都を中心に諸事旧に復す...まぁ、徳川とか薩長じゃなく公家中心の鎖国政治という意味だろう。全国に向けて同志を募ると、新政府に不平な士族の共感を得てその勢いなかなか盛んとなった。当然、大楽源太郎や河上彦斎にも誘いの声がかかる」

 

 あんみつおーっ! 「本 秋田藩大参事・初岡敬三郎、米沢藩士・雲井龍雄、土佐藩士・岡崎恭助、熊本藩士・江村秋八、久留米藩大参事・水野正名、少参事・小河真文、藩士・古松簡二など多数...というか、ほんとに新政府の主流から外れた過激派の面々ですね。これらが一斉蜂起したら新政府の一大危機です」

 

 しらたまオバケ 「幸か不幸か、彼らのあいだに組織的統合や、緻密な計画は何もなかった。明治三年(1870)十二月、陸軍少将・四条隆謌(かつての七卿のひとりだね)が九州に派遣され、長州・熊本・薩摩の藩兵を動員して一斉捜索を実施すると、翌年三月までに与党ことごとく逮捕となった」

 

 あんみつぼけー 「この騒ぎで、河上彦斎も捕らえられて投獄されました。危険を察した友人たちが、薩摩に逃げて西郷を頼れと助言したのに、彦斎は西郷を信頼しておらず拒否しています。彼の行動が優柔不断に思えたんでしょうか」

 

 しらたまオバケ 「熊本藩庁は、彦斎と脱退騒動や二卿事件について、その関与を取り調べた。すると事実は認めたものの、じっさいはすべて未遂なので罪に問いようがない。身柄は東京に送られ、小伝馬長の牢に入れられ尋問となる。担当裁判官は元岩国藩士の玉乃世履(たまの・よふみ)だ」

 

 あんみつぶー 「本 藩の公儀人から猛勉強で司法官となり、のちに ‟明治の大岡” と呼ばれた情実ある人として有名ですね。玉乃は彦斎に時勢の移り変わりを説き、攘夷を捨てて世に尽くすよう忠告しました。そうすれば無罪放免すると」

 

 しらたまオバケ 「残念ながら、彦斎が納得することはなかった。変わったのは時勢じゃなく政府連中の性根だと主張する。幕末維新で幾多の敵や仲間を犠牲にし、得たのは一握り高官のみの地位と権力、富貴だとね。すでに彦斎はすべてに絶望していたようだ」

 

 あんみつねー 「明治四年(1871)十二月、島村審次郎(土佐)の判決により処刑が執行されました。河上彦斎享年38。同囚に向かって、『包丁は料理に使うもので、人を刺すのに使っちゃいかん』 と遺言したと言います。なんだか意味深長ですねぇ」

 

 しらたまオバケ 「じっさい、彦斎に死刑に値する罪科などなかったんだが、岩倉具視や木戸孝允など、彼の過去の所業を知り、そして今般の陰謀に加担したことを鑑みて、生かしておいたらいずれ政府に仇をなす存在だと思われたんだ。まことに政治的な理由で、彼は葬られたことになる」

 

 

 

 

 

 今回はここまでです。

 新政府の開国方針に反対する攘夷派不平士族の蜂起は維新直後に頻発し、鎮圧されていったなかに河上彦斎の姿がありました。

 

 次回、熊本神風連 のおはなし。

 

 

 それではごきげんようオバケニコ