【訃報】 藤圭子さん死去 宇多田ヒカルの母親 | BIRKENHEAD ERKY 旧ブログ 2006~2013
 
 
 
イメージ 1
 
 
 
 
【訃報】 藤圭子さん-2013年08月22日
 「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる藤圭子さんがお亡くなりになりました。62歳でした。ご冥福をお祈り致します。
 
 
歌手の藤圭子さん死去 62歳 宇多田ヒカルの母親としても知られる
 
 

歌手の藤圭子さん死去 62歳 宇多田ヒカルの母親としても知られる

 
 [シネマトゥデイ芸能ニュース] 宇多田ヒカルの母親で、歌謡曲「圭子の夢は夜ひらく」などで知られる歌手の藤圭子さんが22日、東京都新宿区で亡くなっているのが見つかった。62歳だった。自殺の可能性なども報じられているが、ソニー・ミュージックエンタテインメントでは、死因などについては確認できていないという。
 
 藤さんは1951年7月5日生まれ。1969年に「新宿の女」でデビューし、同名アルバムがオリコンアルバムランキング20週連続1位を獲得。さらに翌年発売したセカンドルバム「女のブルース」も17週連続1位を記録する大ヒットとなり、一世を風靡(ふうび)した。
 映画界においては、1970年から1971年にかけて『盛り場流し唄 新宿の女』『ずべ公番長 夢は夜ひらく』『盛り場流し唄 新宿の女』『藤圭子 わが歌のある限り』などの出演作が公開されている。歌手の前川清と結婚したが1972年に離婚。音楽プロデューサーの宇多田照実氏と再婚し、1983年に娘ヒカルを出産した。宇多田氏とはその後離婚している。
 
 

藤圭子さん転落死 飛び降り自殺か

 
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/hujikeiko-ns140.jpg
1970年当時の藤圭子さん
 22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿6丁目のマンション前の路上で、歌手藤圭子さん(62)が血を流して倒れているのが見つかった。心肺停止状態で病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。
 藤さんは28階建てマンションの13階から転落したとみられ、警視庁新宿署は衣服の乱れや争ったような跡がないことから、飛び降り自殺を図ったとみて調べている。藤さんは歌手宇多田ヒカルの母。
 現場はJR新宿駅の北西約1キロでオフィスビルなどが立ち並ぶ一角。
 藤さんは1969年に「新宿の女」で歌手としてデビュー。「圭子の夢は夜ひらく」「女のブルース」などのヒット曲を出したが、79年に引退して渡米。83年には娘のヒカルさんを出産し、96年にはヒカルさんと一緒に曲を発表したが、近年は表舞台から遠ざかっていた。
 [2013年8月22日13時41分]
 
 
 
2013.8.22 12:33(1/2ページ)

歌手の藤圭子さん自殺か マンションから転落死 

 22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンション前の路上で、歌手の藤圭子(本名・阿部純子)さん(62)があおむけの状態で倒れているのが見つかった。警視庁新宿署によると、藤さんは病院に搬送されたが、頭などを強く打っており間もなく死亡した。
 
 
 マンション13階の一室に藤さんの知人の30代男性が住んでおり、ベランダにスリッパの片側が落ちていたことなどから、同署は藤さんが男性宅を訪れていて飛び降り自殺したとみて、詳しい経緯を調べている。遺書などは見つかっていないという。
 同署によると、通行人がマンションから女性が転落したのに気付き、110番通報。藤さんの元夫が藤さんと確認した。同署員が知人男性宅を訪れたとき、男性は1人で寝ており、藤さんがいなくなったことに気付かなかったという。
 藤さんは歌手の宇多田ヒカル(30)の母親で、昭和44年に歌手デビュー。45年に「圭子の夢は夜ひらく」がヒットし、NHKの紅白歌合戦にも出演した。54年に渡米した後はほとんど表舞台に姿を見せなかった。(産経新聞)
 

藤圭子さん死去 飛び降り自殺か?独特ハスキーボイスで一世風靡

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/08/22/jpeg/G20130822006465620_thum.jpg
1979年10月17日、引退会見する藤圭子さん
 シンガー・ソングライター宇多田ヒカル(30)の母で、「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる歌手の藤圭子さん(62)が22日午前7時ごろ、東京都新宿区西新宿のマンションの敷地内で倒れているのが見つかり、病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。

 警視庁によると、藤さんは血を流して倒れており、心肺停止状態だった。マンションの高層階から転落したとみられ、飛び降り自殺を図った可能性があるとみて調べている。

 藤さんは浪曲歌手の父と三味線弾きの母との間に岩手県で生まれ、北海道旭川市で育った。1960年代から70年代にかけ、独特のハスキーボイスで一世を風靡した。

 貧しい生活を支えるために歌っている姿が作詞家石坂まさを氏の目にとまり、17歳の時に「新宿の女」でメジャーデビュー。翌年には「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」など立て続けにヒットを飛ばし一躍スターダムにのし上がった。レコード大賞大衆賞も受賞、紅白歌合戦にも出演した。71年には歌手前川清と結婚するが、翌年離婚。74年に喉のポリープ手術を受けたことでかつてのドスの利いた声が失われ、引退と復帰を繰り返していくうちに人気も衰退していった。

 79年に引退表明し渡米。82年に宇多田氏と再婚し、翌年、長女・宇多田ヒカルを出産した。

 2006年には米ニューヨークの国際空港で大金を没収されたが、09年には全額返還される。2007年には宇多田氏とも離婚するなど波乱の人生だった。