
アーネル・ピネダ秘話
『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』映画化決定に至る知られざるエピソード
「アメリカ大使館ビザ発給物語」
マニラに住んでいたアーネル・ピネダがジャーニーのボーカリストとなるまでを描いたドキュメンタリー映画『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』は、素晴らしい人物像と共に、プロフェッショナルの世界を垣間見せてくれる感動のドキュメンタリー映画だが、その夢物語のようなドラマに負けず劣らず、『ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン』の映画化に至るエピソードがまた面白い。バンドボーカル決定までの道のりもさることながら、映画化決定もまさにおとぎ話と呼べるほど奇妙なきっかけを持っていたようだ。
監督・プロデューサーを務めたのは、ラモーナ・S・ディアス。彼女が最初にアーネルの存在を知ることになったのは、友人から送られてきた一通のメールだったという。そのメールのタイトルには、「今まで聞いた中で最高のアメリカ大使館ビザ発給物語」とあった。
「アメリカに住むフィリピン人のひとりとして、この“約束の地”への渡航を試みる者たちの話は、時に愉快なものもあるものの、ほとんどが悲惨なものであることには慣れきっていた」と彼女は話す。だが、そのメールの本文を見て、彼女は腹の皮がよじれるほど笑ったという。そこには、アーネルというひとりのフィリピン人が、いかにしてアメリカ行きのビザを手に入れたかのエピソードが書かれていたのだ。
2008年の冬、マニラに住む撮影監督の友人が送ったこのメールには、まさにマニラのアメリカ大使館の移民局職員とアーネル・ピネダとのやり取りが綴られていた。
アーネル青年は、アメリカへの渡航理由を「ジャーニーというバンドのリードボーカルのオーディションに招待されたから」と伝えた。当然のようにリアクションは「?」だ。
「ジャーニー? ロックバンドの…ジャーニー?」
アーネルは素直にうなずき、バンドからの取るに足らないメールや手紙を見せた。移民局職員は疑わしげな声で、アーネルに「Wheel In the Sky」を歌ってみろと言ったという。アーネルが大声を張り上げてその場で歌うと、待合室中の人間が、その懐かしいロックナンバーに手を止め、聞き惚れたのだった。
「いいかい、そんな話を信じるような職員はこの大使館にはいないよ。ジャーニーのオーディジョンを受ける…なんて話はね。」
「だけど、いいかい?僕は君にビザを発給する。君はオーディションに行くんだ。君ならやってのけるさ」
メールの終わりには、アーネルが「Faithfully」を歌うYoutubeのクリップがリンクされていたという。ラモーナ・S・ディアス監督は、その映像をみて鳥肌が立ったと語る。
監督・プロデューサーを務めたのは、ラモーナ・S・ディアス。彼女が最初にアーネルの存在を知ることになったのは、友人から送られてきた一通のメールだったという。そのメールのタイトルには、「今まで聞いた中で最高のアメリカ大使館ビザ発給物語」とあった。
「アメリカに住むフィリピン人のひとりとして、この“約束の地”への渡航を試みる者たちの話は、時に愉快なものもあるものの、ほとんどが悲惨なものであることには慣れきっていた」と彼女は話す。だが、そのメールの本文を見て、彼女は腹の皮がよじれるほど笑ったという。そこには、アーネルというひとりのフィリピン人が、いかにしてアメリカ行きのビザを手に入れたかのエピソードが書かれていたのだ。
2008年の冬、マニラに住む撮影監督の友人が送ったこのメールには、まさにマニラのアメリカ大使館の移民局職員とアーネル・ピネダとのやり取りが綴られていた。
アーネル青年は、アメリカへの渡航理由を「ジャーニーというバンドのリードボーカルのオーディションに招待されたから」と伝えた。当然のようにリアクションは「?」だ。
「ジャーニー? ロックバンドの…ジャーニー?」
アーネルは素直にうなずき、バンドからの取るに足らないメールや手紙を見せた。移民局職員は疑わしげな声で、アーネルに「Wheel In the Sky」を歌ってみろと言ったという。アーネルが大声を張り上げてその場で歌うと、待合室中の人間が、その懐かしいロックナンバーに手を止め、聞き惚れたのだった。
「いいかい、そんな話を信じるような職員はこの大使館にはいないよ。ジャーニーのオーディジョンを受ける…なんて話はね。」
「だけど、いいかい?僕は君にビザを発給する。君はオーディションに行くんだ。君ならやってのけるさ」
メールの終わりには、アーネルが「Faithfully」を歌うYoutubeのクリップがリンクされていたという。ラモーナ・S・ディアス監督は、その映像をみて鳥肌が立ったと語る。