「なるほど、これじゃ表も裏もわからないね」
「ま、折木。知恵を絞ってもそんなところよ。私とふくちゃんだってさんざん考えたんだから」
 またしてもの福部さんと摩耶花さんの連携プレーをお聞きする間、わたしは『神山高校 五十年のあゆみ』、摩耶花さんが多分何気なく持ってきた大判で立派な装丁、金の装飾までされてあるそれに、何かのにおいを嗅ぎつけたのです。
「何、千反田さん」
 折木さんや福部さんが言うには、まるで犬のようだったと。福部さんはさらに「尻尾まで生えてたよ」なんて言う始末。尻尾は冗談としても、千反田の人間が鼻が利くと言うのは本当かも知れません。小学生の頃から友達のハンカチを嗅いで何の匂いか当ててしまい、一時期それが私のクラスの流行になってしまったことがありました。直にそれが母にばれ、優しい言い方でしたが怒られてしまい、それからは友達の持ち物の匂いをかいでしまっても自重するようにしました。でもその時同時に、母からにおいに敏感なのは悪いことじゃないとも言われ、匂いかぎはわたしの密かな楽しみになっていました。
「なにか匂います」
「そお? 何も匂わないけど」
 摩耶花さんもその表紙に鼻を当ててくれました。
 でもわたしは見当がつきました。
「刺激臭です。シンナーのような」
 わたしのお母様はわたしほど敏感でないようですが、お父様の嗅覚は絶大です。それは遺伝というより農業という生業のなせる業なのでしょう。土や草、稲穂の香り、それは農家/百姓にとって必須の技術の一つひとつだったのでしょう。それを文化的遺伝子として千反田家も代々受け継ぎ、わたしも家の農業の手伝いをするうちに知らずに身に付いたんだと思います。
「まあ摩耶花。千反田さんがこうまで断言するんだ」
 福部さんです。わたしの肩を持ってくださりましたが、摩耶花さんへの批判にはなっていません。本当に福部さんは気配りができる方です。そして折木さん、顔に手をかざして、
「ふっ」
 不敵な笑い声を出したのです。
「奉太郎、何かわかったね?」
「まあな」
 やっぱり! 摩耶花さんは、
「本当に?」
と驚いていました。
「千反田、運動する気はないか。行って欲しいところがあるんだが」
「はい!」
 そしてわたしは折木さんの手を取り、図書室を後にし、廊下に出たのです。そして摩耶花さんも付いてきてくれました。元々図書室の図書の問題です。行って折木さん、摩耶花さんにとっては折木ですね、が何を見せるか知りたかったんだと思います。そして福部さんは図書室の留守番です。
「それで折木さん、どこへ行くんですか?」
「美術室だ」
「向こうの校舎ね」
 前にも触れましたが我が神山高校、教室や職員室がある一般棟と美術や音楽、実験などに用される特別棟にわかれ、二つの棟は連絡通路に結ばれる、英字のHの形になっています。だから折木さん、最初はわたしだけに行かせようとしたのです。
「あんた本当にものぐさね」
「そこに何が?」
 折木さんのものぐさはわたしにとって、怒りとか呆れの対象ではありません。
「その前に話の整理だ」
 そして折木さんは順序立てて説明してくれたのです。
「あの本の使い道、休み時間にあのでかいものを使う女子はまずいない」
 それが論理の前提としてです。確かに一人や二人なら調べものという線も考えられなくはないですが、同じ曜日で同じ時間帯となると現実離れしていると折木さんは見たようです。
「となれば授業だ」
 折木さんはそう決めつけた後、学年は同じでクラスが別の生徒が関係する授業はと、わたしと摩耶花さんに問いかけたのです。
「体育か芸術科目ですね」
 答えたのはわたしです。神山高校には芸術科目として音楽、美術、書道があります。わたしはそれで折木さんの推理がだいたいよめました。といっても行く場所を最初に美術室と言ってくれたので、わたしの推測も出来て当たり前と思ってました。
「そう。あの五人は毎週授業が始まる前、」
 当番を決めて借りてきた、と折木さんは続けて言ったのです。
「毎週っていうのはどうなの? 貸し出しは二週間あるのに」
 摩耶花さんの疑問も尤もですが、わたしは見当ついていました。
「あんなでかい本、持って帰るより毎週借りる方が楽だ」
 そして美術室の扉の前に来た折木さん、摩耶花さん、わたし。いつの間にかお二人の後を付いていく形になっていたわたしですが、予想通り、『神山高校 五十年のあゆみ』に染みついていた匂いをかぎ取ったのです。匂いそのものは強烈ですから折木さんも摩耶花さんもわかったと思います。でもわたしは強弱の差はあっても二つの匂いは同じとわかりました。