「お母さん、奉太郎さんを迎えに行ってくる」
「気を付けてね」
そう言ってわたしは玄関を出て、千反田邸の敷地を通り、門を開けて道路に出ます。そして生きびな祭りの日、奉太郎さんと共に歩いしたあぜ道を暫く歩きました。あの時は夕暮れで目立つのは太陽の、ろうそくの最後の輝きのような情熱的ですが儚い熱でした。しかしこの時間は違います。日が伸びる夏の時期と言っても日本列島の緯度ではとっくに大地に光と熱をもたらす天体は退場し、今は圧倒的な光源とそれに反射された青の空に隠れていた、か細いけど肉眼で視認できる膨大な光点が見られるのです。背景の漆黒があって初めて観られる景色です。
これもわたしが伯父に訊ねたことです。
「あれなあに?」
伯父は答えてくれたものでした。
「別の世界だよ。地球が太陽の周りを回ってることは学校で習ったろう? あれはすべてここからうんと遠いところにある太陽なんだよ。じゃあえる、あの遠い太陽の周りに何があると思う?」
「地球?」
「そうだねえる、それぞれの太陽の周りにこの地球のような惑星が回ってて、そこにえるや伯父さんのような人間が住んでる、伯父さんはそう信じてる」
見上げれば夏の大三角形のベガが殆ど真上に見え、西に目を向けると春の大三角が退場する姿が見えます。これらすべて、行方不明になった伯父が教えてくれたこと。この当時も、そしてこの小説を書いてる今でも夜空を見上げれば思い出せる優しく懐かしい思い出です。しかしこの時、伯父さんには申し訳ないのですが、わたしの思いは奉太郎さんに圧倒されてることを確認してしまったのです。わたしは子供を卒業してしまい、恋する少女になっていた、久しぶりに眺めた夜空で期せずして知ってしまったのです。ですから家に戻る道すがら、微かに鳴る鈴の音に声をあげたのです。
「奉太郎さん!」
精一杯、素直な明るい声で。
「えーるー!」
ブレーキの後に続く奉太郎さんの声に向かい、わたしは走ります。
持ってきていた懐中電灯で照らすと、奉太郎さんは門の前で待ってくれていました。
「そんなに走らなくても。でも元気そうじゃないか」
「そんなに走らなくても、嘗ての折木さんが言いそうなことですね」
「おいおい」
この時だけ折木さんと言うわたしもちょっと意地悪です。でもそれだけ親密になってる証拠で、奉太郎さんも頭を搔いてるだけで怒ってないことが丸わかりです。わたしはそんな奉太郎さんににやけてしまい、門をくぐって玄関を前にする道すがら、笑顔のし通しでした。わたしにとって奉太郎さんはこんな人になってたんだ、何て素敵な夜になったんだろうと思って我が家のドアを開けたのです。