夏休みに入り、わたしと奉太郎さんはまず物理的に距離が出来ました。折木さんは陣出や桁上がりの四名家など、地域社会のための千反田家のあり方を研究対象にしようとしていたのに対し、わたしは千反田家でどんな作物を栽培・収穫してきたか、そして将来は品種を含め、どんな種類の作物を栽培すればいいかを調べたいと思ったのです。それには古文書の解読が必要で、そこでは奉太郎さんと一緒にわたしの父や礼子さんの訓示を受けることが出来ました。しかし将来展望については千反田家や礼子さんの研究分野から外れるので、高校の図書室や市の図書館で調べなければなりませんでした。
 つまり千反田家は稲作だけだったのか、他にもあったならその品種を古文書から特定したうえで、品種ごとに土壌を含めた最も適した栽培方法を調べます。そしてその方法が今の千反田の土地柄に合ってるか、合っていないなら合わせる方法があるかを調べます。でも日本でも明治以降、気温が上昇してるのは周知の事実です。だから品種も亜熱帯や熱帯用がいいかも知れず、図鑑やインターネットで調べてみたのです。
 調べものは思いのほか捗りました。でもどうでしょう、今ひとつ、「気になります!」という押しつけがましい元気を欠いてきたのです。摩耶花さんからはお淑やかになったの言われましたが、それはわたしが奉太郎さんに対して言わなくても済んだ状況になったからか、自分でも判然としませんでした。でも思い当たること一つあって、実は以前より慰める回数が増えたのです。
 わたしだって女の子です。初めての月のものが来てお母様から女性の身体のことを教わり、日々変わっていくと思える自分の身体に興味を持つ時が来たのです。思い余ってアンネ・フランクのように、女の子の生殖器官を鏡越しに見たこともあります。探究心をわたし自身の身体に向けてしまったので、一人遊びを始めるのも初めての軽血があってそれほど時間が経っていない頃でした。わたしも農作業をしていた時期があったので、お百姓さんのランニングからのびる裸の腕のてかりに赤くなってしまい、その夜おかずにしてしまったこともあるのです。
 でも奉太郎さんに出会ってからは、徐々に奉太郎さん(その時は折木さんと呼んでいました)を思ってするようになってました。そして生きびな祭りの日、告白しあって恋人になり、わたしもあまり慰めなくなりました。この状況が続くかと思っていたところ、自分の課題に夢中になり過ぎたのでしょう、恋人なのに傍にいない状況があまりに長く続き、わたしの身体が悲鳴を上げたのです。しかし奉太郎さんの方はどうなのでしょう。同じことを思ってくれてたらいいなと思いつつ、電話をかけてみることにしました。