「実は本音を言うと奉太郎をえるちゃんに頼みたいんだわ。私から言うには憚れる事情が弟にはあってね。その事情をえるちゃんの明るさで克服できたらって思ったの。迷惑?」
 供恵さんがそこまで言うならと、尊敬するバイタリティ溢れる女性にも弱みがあると知って嬉しくなり、恋人になるかどうかわかりませんが精一杯引っ張りますと宣言したのです。ただしあえて事前にお写真を拝見しませんでした。
 供恵さんの携帯電話で簡単に観れると仰っていただけましたが、お付き合いするかも知れない男の人のお顔は、最初は直にこの目で見たく思ったのです。ですから供恵さんからはお顔と身体の特徴だけ、言葉で説明していただきました。ですから初めてお会いしたA組とB組合同の音楽の授業、わたしは柄にもなく少しときめいてしまいました。でもだからこそ、二度目の地学準備室での出会いはこう言っては折木さんに申し訳ないのですが、白を切ることが出来たのだと思います。
「こんにちは。あなたも古典部だったんですか。折木さん」
「…誰だ?」
「わかりませんか。千反田です。千反田える、です」
 わたしも策士ですね。相手がこの状況に戸惑うのは当然なのに、それがさも心外と言う態度をとるのですから。
「すまん、全然わからないんだが」
「折木さんですよね」
 続けてわたしは折木さんのフルネーム、そして一年B組とさも知ってるのが当然のように言ったのです。
「わたし、一年A組なんです」
 供恵さんに教えてもらった先制攻撃です。機先を制された相手でもこちらが無防備そうに愛想よくすればほだされると。さらに漏れるのが不思議な情報でも、少しでも理屈がたつなら警戒心を解いてくれると。
「もしかして、音楽の授業で一緒だったか?」
「はい、そうです!」
 この時の笑顔は演技しなくて良かったです。そしてお互い古典部に入った事情を尋ねあいましたが、わたしははぐらかしてしまいました。
「はい、一身上の都合がありまして。折木さんは?」
 愛想笑いに戻っての受け答えです。折木さんはまだ自分のフルネームを言い当てられたショックが尾を引いているらしく、すぐに言葉を継ぐことが出来ませんでした。
「ま、部員がいたんならいいか」
 その意味するところはわたしも承知していました。でもその次とった折木さんの行動には、腕をつかんで止めるしかありませんでした。
「じゃあな」
 挨拶しただけで具体的な部の活動は何一つせず、その場を退散しようとしたのです。なぜなら、私は古典部部室、地学準備室の鍵を持ってなかったのです。