結局ソフトは買いそびれているから最後に観たのは20世紀のはず。だから今の感覚で視聴すると演出や脚本の粗さに気が付くものの、物語の展開は見事と思うことが出来。台詞と台詞の間であったり細かい人物の感情の推移を省いている点などで、人物の感情の転換が唐突と感じられ。さらにアムロの戦闘能力の向上も目覚ましすぎると思って。しかしシャアの艦隊の捕捉によって始まるホワイトベースの逃走劇は、作画も音声も真があると感じられ、作り手の本気を察す。

 以下は改めて視聴しての気づいたことで、といっても真っ先に挙げる「親父にもぶたれたことないのに!」はブログを始めて以降、いぶかった場面。今回の視聴でやはり、「私はアムロの味方する」。ブライトの言い分も「そんなにガンダムを動かしたいんなら、あなた自身がやればいいんですよ」のアムロの台詞の前までは私も納得。しかし上記のアムロの言い草への返答、「何!?・・・出来ればやっている!貴様に言われるまでもなくな!!」からブライトの逆鱗を私は察し。

 単純に言うとアムロが弱みを見せるのは、信頼する/信頼したい証かと。しかしブライトは艦長という立場上、あるいは命令と決断を下す身として、弱みを甘えと解釈した上で拒否した。また憶測するに、当初の見込み以上の活躍をしているアムロへの嫉妬や自己嫌悪/卑下もあったと私は推察。つまり当場面でのアムロへの怒りは、八つ当たりでもあったと私は考え。傍証するようにアムロの戦いを見たブライトは「戦いのことを忘れちゃいなかった」と分かったような台詞を。

 私が上官と一兵卒と認識/人間理解の断絶を察する箇所。とはいえ本「砂の十字架編」のブライトくらいのダメ上司は、日本の会社に一杯存在すると思う。だからアムロの出撃も(職場での)処世術と考えるべきでは。ということでヤマトシリーズの名台詞が主題を象徴する言葉と定義できる一方で、ガンダムシリーズ、とりわけファーストガンダムにおける名台詞とは、人間関係や社会における「あるある」の言葉という意味。

参考:二度もぶった knows…
   ガンダム完全講義19:第9話「翔べ!ガンダム」解説Part2

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