今日はBLOGOSに掲載された「たぶん、幸福を管理される未来をみんなは受け入れる」について。しかし見出しにしたブログ主[シロクマ(はてなid;p_shirokuma)]の主張には同意しつつも、実現するか疑問と思うのでした。そもそも記事で紹介された『PSYCHO-PASS』の舞台、「犯行以前に逮捕できる世界」はSFでは、現在の蒸気機関と同じく「枯れた技術」。2002年に公開されたアメリカ映画『マイノリティリポート』と同じ設定だから。

 しかしフィリップ・K・ディックの原作は古く、英語版のWikipediaによれば1956年発表。だか

 しかも                 さらに

ら私は『PSYCHO-PASS』を面白いと視聴しつつも第1話で設定と舞台を理解すると、「古い」と思ったのです。舞台に合っている精緻な背景美術も、作品舞台を成立させる「条件」を想像すると、私たちには「寸断された未来/将来」と考えたのですね。思いつけば単純で、兵站の問題。私が明確に認識したのは『ゆきゆきて、神軍』。食人の問題から戦闘には後方支援が必須と理解でき。

 今世紀に製作された塚本晋也版の『野火』も同じ問題を扱っている。さらに『失敗の本質』を読み、(旧)日本軍の中枢の「物語主義」、つまりドラマチックに勝つ/勝てるという思想に愕然とし。しかし『失敗の本質』を読む前、兵站の問題は普遍と気づいたのが3.11、私が呼称する「列島震災」であり。東京電力の福島第一原発の放射能漏れ事故により、特に関東の居住者は私たちの生活の脆さを分かったと思う。だから今のコロナ禍も私は結構平常心に。

 上記の論から私の『PSYCHO-PASS』への疑念、「幸福を管理される未来」の実現への疑問は明らかかと。つまり価値や意味への問題以前に、実現するための膨大なエネルギーを供給する当てがあるのか? 私が納得できるのは仮想空間の出来事でしたと言うオチで、もし現実と設定するなら国際間の資源争奪競争(戦争)という前史がある筈で、『PSYCHO-PASS』の舞台は「外敵」から常に攻撃されていると考えられ。まして人間が考えるシステムに「穴」は付き物。

 だから私は「幸福を管理される未来」という現在の技術の想定内を危惧するより、自分が望む未来を妄想し、制約条件や前提条件を考慮した上で、可能な過程や実現しやすさを考察する方が有益と思うのですよ。

「今に何か、嫌なことが、不吉な何かが、必ず起きる」に決まっているため。

[4336heitan.txt]