昨日の「Session-22」、久しぶりに殆ど(終了間際のコーナーの前に切りました)聴いたけど、「予定調和」で残念に思った次第。初心者にはためになることばかりだけど、ファンも批判者も長年の聴き手にしてみれば、「ポジ出汁があったっけ?」と気づいたはず。普段は提案型を標榜するのが本番組なのに。尤も報道機関再生のために「信頼されるマスコミ」を目指してほしいとする、荻上チキや神保哲夫、他に一人の出演者にも私は問題があると思う。

 過去の取材方法の具体例、私は本からの知識を欠いているけど、以前は報道部門は(比喩として)ヤクザな商売と聞いたことがある。つまり記者個人の取材能力や熱意と会社のどんぶり勘定によって、日本社会に影響を与えた記事が出来たという憶測。さらに記者が自由に活動できた要因として、テレビも新聞も成長産業だったという帰結が成り立つ。

 つまり現在のような取材部門が整備され、社会に対する責任を担わされる状況にあっては、「面白い商品」を期待するのは酷というもの。そう、SONYも東芝も日産も罹った大企業病が、今の新聞やテレビの症状で。つまり「間違わないように」が多すぎるという三人目の出演者の嘆きはないものねだりという結論。だから理想の取材体制を想像/仮定して、想定される問題を考察する方が楽しいし、報道機関のためにもなると思うのでした。

 しかしSession-22と荻上チキのもう一つの問題、提案型と言いつつ、自らの率先は避けるという問題が関わるのですね。論理で考えれば自明なことで、報道(機関)の問題を番組で扱うと、番組出演者の問題に行きつき。つまり視聴者や聴取者からの「お前はどうなんだ」という問いただし。むしろ度々批判した『ACTION』が今週、クリープハイプ・尾崎世界観の火曜日にウイルスの専門家を出演させ、現状の対策を批判したのに嬉しい驚きを。

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