先日、ステレオタイプを「人間にとって必要な思考の基礎」と定義しながら、今回の「ブラック・ライヴズ・マター」に賛意を表するのが私です。主な要因は「制度的人種主義」という言葉を知ったからで、私が一時伝記を読み漁った物理学に限っても、言及されている黒人はサティエンドラ・ボースとスブラマニアン・チャンドラセカールの二人のみ。出身は二人ともインドですが、チャンドラセカールは渡米して米国人になった経緯があり。

 私の差別についての立場は「思っているだけならいい。行動では上辺だけでもいいから自制すべきだ」なので、「制度的人種主義」には即反応すべきでした。しかし科学ファンとして問題をはらむ語句が頻出しているので、今回も少し遅れて意見表明する次第。問題の語句は「人種」。人類学でも科学番組では禁句であり、昨日まで(リンクリスト以外で)4307本の私のブログでも使った記事数は38本。理由はヒトにあるのは亜種だけと思っていたから。

 生物学の定義では亜種とは、地域ごとに発達した一つの種の中の下位区分のこと。人類発祥の地は東アフリカだけど、出アフリカは三回あったみたいなのに、結局は各々が「種」になる前にホモ・サピエンスは共通の場を作ったというのが私の昨日までの理解で。しかし改めてWikipediaで確認したところ、「人種」は科学としては「亜種」未満/以前の概念らしく。ならなおさら「人種主義」という思想は二つの意味で実証科学に反する思想。

 人種主義を穏便に定義すれば「人種ごとに秀でた分野、傾向がある」。しかしガミラス星人のように前線基地を冥王星に置く異星人には失笑もの。外見上は国連本部で観察される全ての人間が同じに見えるだろうし、太陽系に訪問できる技術がある「人類」は大同団結できてると思うのですね。