[4421]小説『一九八四年』…ジョージ・オーウェル 高橋和久訳
 

 前回想像した『一九八四年』の世界、<オセアニア>の想定/想像は<非まじめ>で考えた帰結ですが、実は政弘が提唱した当該の思考方法、使用上の注意が必要で。そう『一九八四年』でオセアニアが国民に対して強要する思考方式、<二重思考>と近縁と云えるから。違いと言えば<非まじめ>が思想⋰思考に対して、<二重思考>が出来事の認識に対してであり、両者を混同/錯誤/曲解すると<非まじめ>の良さが失われる。

 尤も上記のように<非まじめ>を分析できることが非まじめ思考の特質ではあり。昨日は人を信じ込ませることはできても、実情はビッグ・ブラザーやオセアニア、オブライエンに徹底して不利かもと示唆。私が昨日の記事の末尾に「オセアニアの首都、ロンドンの陥落の想像を」と書いたのは、ウィンストンの拷問/教育/完治の方法が、オセアニアの党員に対する統治の典型か疑問なため。重要人物になり得るからオブライエンは徹底して人格攻撃したのでは?

 するとビッグ・ブラザー、オセアニアに敵対する<ブラザー同盟>は存在すると帰結でき。ウィンストンに対して徹底して否定するのは、オセアニアにとって真に危険な存在だからと思われ。つまり一九八四年、オセアニアはイースタシアとユーラシアと緊張状態であったとともに、内なる敵として<ブラザー同盟>とも戦っていたと私は想像。さらにジュリアこそブラザー同盟がウィンストンを引き入れようとした使いと想定すれば、オブライエンの激烈さも納得。

 しかし上記の論は小説『一九八四年』が「事実の記録」であることが前提。ところがオセアニアの党是は以下の三項目のこと。

 戦争は平和なり
 自由は隷属なり
 無知は力なり


 つまり小説『一九八四年』がオセアニアから収奪した文書の一つなら、(オセアニアの特質から)信頼するに足る情報か実は疑問。むしろたとえ占領されて事実に基づく歴史の記述を逃れるため、捏造した政府文書の一本と想像できるのですね。ということはジュリアはウィンストンをブラザー同盟に招き、(第一次世界大戦末期のドイツ革命のように)、オセアニアに革命を起こしたのが<事実>と私は仮説。

 

参考:「非まじめ」のすすめ (〔正〕) (講談社文庫) (日本語) 文庫 – 1984/2/1

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