ノストラダムスは16世紀のペスト禍で医者として患者の治療と撲滅に尽力したと、五島勉は自分の著作で紹介したのに、「世界の終わり」の要因という発想は逸してる。小松左京の『復活の日』、翻訳でカミュの『ペスト』が読める日本なのに、大東亜戦争での敗北が物書きの原点だから、「滅亡は人智によるもの」と発想し続けていたみたい。しかし小松も創作の原点は敗戦でも、SFという方法によって「天災小説」を物語ることができた。
だから問題は五島を代表とするオカルト研究者の発想の貧困さで、天罰は天からの罰、つまの自然界からの驚異と捉えることが出来たら、日本のノストラダムス研究も本場フランスか感心されたはず。五島は以前、フランスの研究者から貴重な書籍をもらい受けた折、「あなたとは相当な隔たりがある」という意味の手紙が同封されたという。今回のCOVID-19の流行により、やっと彼我のノストラダムス研究の落差が理解された形。
しかし今回のコロナウイルスの流行により、「巨大な光の反対のもの」とか「すべてのジョネーブ」とか、「恐怖の大王」とか、やっと明確に解釈ができ。「巨大な光の反対のもの」は「恐怖の大王」と解釈されねので、以下の詩の「一九九九年七の月」はまさに今と解釈できるわけ。
一九九九年七の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
その前後、マルスは幸福の名のもとにしはいするだろう
『諸世紀』第10巻72番
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