日本政府の休業要請について私見を述べると、補償の問題を協力金などの対応で済まそうとしている現状から、休業しようが事業を続けようが事業社/者の勝手という立場。またネット上で展開されている新型コロナウイルスの流行を契機に惹起された様々な発言について、罵詈雑言でも意見表明にかぎりすべて肯定する。ウイルスはヒトが視認するには小さすぎる存在だから不可視の恐怖に怯える気持ちは理解可能。ただし日本の芸能人には、疑問を思っていて。

 私も下記の見出しを読んだときは「大変なことだ」と思いました。

新型コロナで西田敏行が政府に“俳優の危機”を訴える、過去にも“仕事仲間”を激励


 しかし以前にも紹介した詩を思い出したのですね。

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


 つまり日本の芸能人/界は、今まで明確な政府批判、あるいは反対デモに参加したことがあったか? 社会派のドラマや映画では殆どは製作、監督、脚本家が発言し、俳優は出演だけで社会への責任は果たしたと思っていたと私は憶測。しかし芸能はもともとは堅気から外れた商売なので、出自から言えば反政府や政府否定してもいいはず。しかし日本の芸能人は事実として、民主主義や人権への直接の明言を回避。尾崎豊の反戦・反核、RCの『COVERS』くらい。

 だから以下のリンク先も尤もだと思う次第。

西田敏行、内閣府へ宛てた“要望書”に「身勝手すぎる!」猛批判
 

 ということなので、下記の記事で紹介されたサンドウィッチマンの伊達みきお、山下達郎、糸井重里の見方を私は批判。

サンド伊達、山下達郎ら著名人の「批判やめよう」喚起に賛否
 

 現実の生活で全うさが貫徹できるなら、匿名のネット空間での批判/非難合戦は許されると私は考え。しかし山下のいかの発言は呆れたもの。私は「政治的対立を一時休戦」は国際問題に関してと思うから。一方で各国の国民は自分たちの政府に文句を言い続けて初めて、政府は国民のために渋々仕事をすると私は理解し。

いま、いちばん必要なのは政治的なものを乗り越えて、団結ではないかと思います。政治的対立を一時休戦して、いかにこのウイルスと戦うかを、国民のみんなで、また世界中のみんなで助け合って考えなければならないときです。なんでも反対、プロパガンダはお休みになりませんか。責任の追及、糾弾は、このウイルスが終息してからいくらでもすればいいと思います。冷静さと寛容さが何よりも大事です。正確な判断は冷静さでしか生まれません。我々は我々ができることをしましょう

 私が断言するのは、政策についての「責任の追及、糾弾」は進行中だから価値があるということ。「なんでも反対」とか「プロパガンダ」の文言で政府批判を否定したり、「正確な判断は冷静さでしか生まれません」など、芸能(界)否定の論理。熱狂されて大衆に受容されるのが芸能人の価値のはずですよ。

[4260colona.txt]