[3925]『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』、雑論かつ総論

[3929]頑張り過ぎの富野由悠季

[4130]映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』…原作・脚本・監督/富野由悠季
 過去に以上の記事で論じた『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』、今回、押井守の評価を(富野とかBLOGサイト2経由)改めて読み、今更ながら(着眼点による)評価の違いを理解。「ドラマとして、人物として鑑賞できる作品のはず」には同意するけど「そこまで人類に絶望」という富野監督自身の見方や主義主張を、映画の評価に含めていいか?

 明言する機会を逸してきましたが、「逆襲のシャア」では最大の事件たる「隕石落とし」、地球上では最大の問題として各報道機関、ジャーナリストの大半が報道に携わり、自然科学系の各専門家、政治家や芸能人や運動家、宗教などなどが「朝まで生テレビ」状態になってるはず。しかし実際の映像では『機動戦士ガンダム』から得意の「内幕もの」に終始。

 各々の人物は正に「生きて」いると思えるけど、偶像としての「シャア」や「アムロ」の受け取られ方を回避したため、社会や世間の描写に失敗したと思う。しかしガンダムシリーズはスターウォーズやスタートレックと違い、宇宙世紀という未来「社会」が舞台であり。しかし「THE ORIGIN」でも暴動や開戦に至る一つひとつの経過の描写はさぼり勝ち。

 実は本ブログの「タッチ3」は住友里子を使って上記の欠点を是正する試みだけど、『巨人の星』や『あしたのジョー』を読めば個人と社会の関わり、「有名人の作られ方」が理解できることと。

 

参考:[4223]星飛雄馬と矢吹丈の違い

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