アムロは(ニュータイプの)理想像にされ、シャアは判官びいきの庶民の憧憬の対象にされ、
カミーユは多分反骨少年の敗北を表現できた。ジュドーは意見する子供の代表と考えられるが、
次のクェスとハサウェイに関しては「理解し合うには若すぎた」間柄と私は理解。でもシーブックは、
「人としての理想」を体現し過ぎ、セシリーはシャアの女版を踏襲し過ぎと考える。

 ウッソは単なる天才少年と思ったので視聴を止めた後で最終回の悲劇を知って「やり過ぎ」と、
思ったのです。新訳のカミーユは公開当初は面白く思えたけど、今にして純粋で素直過ぎたと思い、
テレビ版の反骨を省いたことが傑作になり損ねた原因と思う。紹介に前後したロランについては、
半年以内に見るのをやめたので、定義の明言に失敗していて。

 しかしベルリも半年間毎週見続けたのに、定義に失敗している登場人物。ただ旅を続けられたから、
危機や困難を深刻に考えるのを避けることができた若者とは考えられ。しかし私が現在見たい人物は、
「トリックスター」であり。確か中学か高校の学校の授業で教えられた概念かもだけど、
閉塞した状況・世界を活気づける「触媒」なので、今の世界に打ってつけと思うのですね。
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