ボーア、アインシュタイン
 講演で、遷移に関する正確な決定はできないと言った。
 アインシュタインは科学の伝統を継ぐ者として、「要素的過程の時間と方向に」決定の余地を残すものに反対した。法則によりすべての作用は予知されねばならぬと確信していた。二人が会ったとき、相違がはっきり現われた。
『ニールス・ボーア 世界を変えた科学者』より

ボーア、マイトナー、フランク、ヘルツ
 ボーアの話には外国人なまりがあり、用語や概念は学識深い物理学者にもむずかしく、学生はヘトヘトになった。後年リーゼ・マイトナーは「ジェームス・フランクとグスターフ・ヘルツと外へ出たとき、ほとんど何もわからなくて打ちのめされていたものです」。
 若干の若い物理学者がおもしろ半分に反抗してカイザー・ウィルヘルム研究所に招き、一日がかりで説明してもらうことにした。マイトナーが交渉に来たときプランクが同席していたが、大物なので招待から除外された。
 若い人たちに一日中質問を浴びせられ、喜んで答えて議論を沸き立たせた。お返しに聞いたのは、大物の意味だけであった。
『ニールス・ボーア 世界を変えた科学者』より

ボーア、マイトナー
 ボーアは原子スペクトルと対応原理について講義した。マイトナーを含め若手物理学者には、理解しきれない者、教授連が仕切っていたので戸惑う者もあった。
『リーゼ・マイトナー―嵐の時代を生き抜いた女性科学者』より

マイトナー、ボーア、フランク、ハーバー
 半ばがっかりで、半ば愉快な気分で、私たちは、ボーア先生にダーレムで一日お過ごししていただくことにしましたが、教授クラスはお招きしないことにしました。プランク先生ご遠慮いただけないでしょうか、といわなければならないわけです。同じように、フランクはハーバー先生のところに行き――お食事を出したいですから――「お偉方ぬき」でディスカッションするため、先生のクラブハウスの使用許可を申し出ることになりました。ハーバー先生本人は教授でいらっしゃるのでお招きできない、と強調しなければいけないのです。しかし先生は少しも嫌な顔をなさらず、別荘にお招きくださいました。――敗戦後の大変な時代でしたし、ダーレムで食料を手に入れるのはたやすいことではなかったのです。先生(ハーバー? ボーア?)は、アインシュタインもランチに招待してくれ、とおっしゃっただけでした。当日、私たちは数時間ボーア先生に質問を浴びせ、先生はユーモアたっぷりに答えてくださいました。ランチの席では、ハーバー先生が「お偉方」の意味を説明しようとなさっていました。
『リーゼ・マイトナー―嵐の時代を生き抜いた女性科学者』より



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