(ルートヴィヒ・)ホップ
ルートヴィヒ・ホップ にとって外国でポストを得る問題に加え、子供の将来も心配だった。長男はミュンヘン大学の学生だったが、「反ファシスト学生リスト」に署名したため、一九三三年[一一月]に放校処分を受けていた。
「ゾンマーフェルトとその学派を巡って」より
マイトナー
マイトナーも同じだった。国外移住は簡単なことではない。世の中は不況にあえいでいた。空いているポジションなど滅多にないだろう。未知の世界に飛び込んで、ベルリンに来た頃のつらい生活を繰り返す気にはなれなかった。自らの物理学部門にしがみついた。一九三三年一一月、ニールス・ボーアはロックフェラーから研究助成金を取得し、一年間自分の研究所で研究できるよう手配した。マイトナーは義理立てして、表向き手続に入ったものの、結局辞退してしまった。ベルリンに帰ってこられないかもしれない、とプランクに言われたからだ。ペンシルヴァニアのスウォーモア・カレッジで物理学者を探している、という話があった時、(以下略)
国外移住には完璧を要求したマイトナーだが、ベルリンに残る理由なら、いくらでも見つかった。政治情勢は悪いが、改善するに違いない。それまでは、研究所が避難所である。(中略)政治状況にありながら、スタッフとの関係は「異例」なほど良好だった。「私たちは非常に強い連帯感で結ばれていました。(中略)政治的見解は同じではありません。けれど個人的にも研究面でも、ともに結びつきを建ちたくないと思っていました」
ドイツ人同僚が「非アーリア人」と喜んで仕事をしてくれる以上、マイトナーのほうでも同僚の政治活動に目をつぶった。茶色いシャツを着、研究を中断して集会に出て行くが、理解できた。若者はナチスに多少協力することが必要だと思っている。それだけのことだ。私には物理学こそが重要であって、今の物理学部門以上に恵まれた環境はない。「大いに満足して、プランク先生とハーンの説得に応じた」のだった。
リーゼは、最後には国を離れることになる――すべてを失い、追い出されるようにして。それまでドイツは、不可欠なものを与えてくれた。(中略)要するに、ここにいればマイトナーは大好きな生活が送れ、ライフワークというべき仕事もできる。(中略)辞職して亡命した友人やハーバーの悲劇を、見てきたではないか。
『リーゼ・マイトナー―嵐の時代を生き抜いた女性科学者』より
(ゲルハルト・)ヤンダー、ハーン
秋、ハーバーが所長だった研究所に新所長ゲルハルト・ヤンダーが登場した。ナチ前の水準でいえば、地位につける器にはみえなかっただろう。皮肉にも、ヤンダーが行なった唯一の研究は、化学兵器関係であった。国防相は、研究所を毒ガス研究機関に衣替えにしたいと考えていた。ハーンは臨時所長をやめさせられた。
『リーゼ・マイトナー―嵐の時代を生き抜いた女性科学者』より
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