私のブログでは科学の用語は(なるべく)当該の話題を紹介する場合に限り、政治や社会(問題)は、
できるだけ元来は科学の専門用語を避けてきたつもりで。

 なので「官僚の天下りを進化生物学で考える」を見出しとした馬場正博の主張、橘玲(あきら)の、
言ってはいけない 残酷すぎる真実』は読む前に「やっちゃったな」と思ったのです。簡単に言えば、
両氏が書いたことは専門家には共有されている知見と思うから。私が察するに世間話や個人メールで、
ネタにされているけど、研究発表としては徹底して避けてる話題。

 馬場の記事に関しては現象を説明するだけで現状追認と誤解されると私は想像。私も以下の二文は、
ブログを始める前から察していました。

 天下りが官僚組織の人事の根幹を支えるために必要である限り、官僚が自ら進んで規制緩和を行うことは難しいでしょう。官僚組織で一番人事的評価されるのは天下り先を増やすことと言われるのは、恐らく真実なのです。

 行政の執行機関としての官僚組織が現状維持と組織拡大を指向するなら、問題は行政を制御する、
政治(家)のはずであり。しかし馬場は利己的遺伝子論で行政の内部事情を説明するだけで、
よりましな政治(方法)についての考察を避けてる。私が囚人のジレンマで説明する予定なのは、
専門家以外でも「使える」道具と考えたため。

 しかし読む前に論ずるけど、橘の著作の方が人類という概念にとってより危うい存在になると、
私は想定し。真っ先に思ったのはデザイナーベイビーを助長し、社会ダーウィニズムを容認する、
論拠に使われる未来社会というもの。「嘘には三種類ある」という警句に続く解説に、三番目として、
指摘する「統計の嘘(罠)」に橘がかかった結果と私には考えられ。

 (各々の競技での)上位と認められている選手であるほど遺伝子の同一が認められることは、
事実としても、例えば趣味のサッカーや野球仲間ではちょっとした有名人に同じ遺伝子があるとは、
私には十分想定できる事態なのですよ。でも真っ先に思い付いたのは遺伝子に適合する競技の、
出会いを逸した人のこと。Jリーグやプロ野球の選手は運も味方してなれたはずと私は理解を。

 私自身も他人が指図してくれたら楽と思う時があるが、他人の出来事として考えると独裁を容認、
というより支持する被支配者の思考と理解でき。また人間は天邪鬼の傾向もあるから、
遺伝子から得意とわかった分野に従事する義務が法律で制定された社会では、遺伝子主義批判が、
勃興するのは私には必然。つまり科学で良かれと思ったことが批判され、科学否定の未来社会に。

 社会ダーウィニズムは「強い者が勝つ」いう「ダーウィンの主張の理解」により、帝国主義や、
専制政治に論拠を与えた形。しかしダーウィンが主張したのは「適者生存」であり、利己的遺伝子論を、
主張するリチャード・ドーキンスはネオ・ダーウィニズムとして自論を延べ。つまり著名な科学者は、
科学理論や知見が世間に借用される時の危うさを十分理解していると思うのですね。

 つまり私が件の本の編集なら出版前、動物行動学の専門家にでもゲラの段階で助言を受けるべきと、
橘に助言したという意味。いわゆる文系の人が自分で発見したと主張する知見、専門家には、
常識だったり程度の低い知見が、私の予見する結果。
[3667kagaku seiji.txt]