「いたァい!」
 派手な悲鳴は私、浅倉南のものだった。昼休み終わってすぐの五時間目の地理の授業が始まってすぐのこと。当然クラスのみんなに注目され、先生からはどうかしたのかと問われてしまう。私はなんでもありませぬと惚けて取り繕ったけど、投げつけられたブツを確認する前に犯人を見当つけてた。
「えーでは、今日は31ページ、偉大なる群馬県をやる」
 先生のこの言葉は、南がブツを拾う動作とともにはっきり覚えてる。見ると予期したとおり、昼休み中に入れてあげたノート。きっちり片を付けなくちゃと、南は意気込んでた。ものを粗末に扱う、南に動力を振るった犯人を睨みながら。

「起立、礼!」
 地理の先生が出て行った後、クラスのみんなは途端にざわつく。もっとも同じ階のほかのクラスも似たようなもので、一年生は気時間目で授業が終わる曜日だった。タッちゃんはすぐ教室を出ていく。教室で捕まえて人のいないところで話をつけるつもりだったけど、慌てた南は教室を出たすぐの廊下で呼び止めてしまったのです。
「タッちゃん。なによ、せっかく人があげたのに!」
「バカヤロ! そんなもん使えるか!」
「なんでよ?」
「ベストカップルに選ばれてアンケート部からもらった商品だろうが、それは!」
 そう、南がカッちゃんと三冊ずつもらった、「祝ベストカップル♡」と手書きの文字の帯がまかれたままのもの。
「そうよ、でも中は普通のノートよ」
「んなこたァわかってるよ」
「じゃあ使いなさいよ」
 ちょっと親切の押し売りになってることはわかってたけど、タッちゃんは単にきつがってるだけだと思ってた。

「和也は大事に自分の引き出しにしまってたよ」
「え?」
「たぶん、あいつは一生あのノートは使わないよ」
 男の子のロマンをはっきり気づいた出来事だった。
「おまえと和也の記念だろ。かんたんに人にやるものじゃねえだろ」
 真正面から見る真面目な顔はいつものタッちゃんらしくなく、南は茶化す誘惑に勝てなかった。
「あれ?」
「なんだよ?」
「けっこう気をつかうんだね、タッちゃん」
 だから南は帯から抜き取った一冊を手渡すことにした。
「あとはとっとくから」

「いらねえよ」
 厭味ったらしく舌を出したタッちゃんに安心し、南は強気に出たのです。
「なんでよ、つかいなさいよ。ノートないんでしょ?」
「いらねえよ?」
 ノートを押し戻すタッちゃんに、南はいつものように呆れてみせたのです。
「なに遠慮してんのよ?」
「いやなんだよ、そんなノートは!」
 タッちゃんへの次の言葉は本当に軽い冗談として、からかうように言ったはずでした。
「あ――っ。そっか、やいてるんだ! やいてるんだ、タッちゃん」
 タッちゃんの後ろ姿に指さした上に身を乗りだし、左頬を突っつくつもりだった。でも触角を受けたのは南の左頬、タッちゃんの右手のひらによるものだったのです。南は一瞬思考が飛んだけど、大失敗したことにすぐ気づいた。でもタッちゃんの後ろ姿に呼びかけることも追いかけることもできず、打たれた左頬を庇うことしかできなかったのです。


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