多分、追跡取材した難民は他にもあるはず。でも編集作業までに存命の人の例を拝見しても、
呑気な私の現状からは想像不能の状況と推察。だからこそ「帰れる場所を喪失した難民」に、
忸怩たる思いを持ち。単純に云えば社会へ発言するには本来組織が必要で、組織の加入者は、
帰属先のために不法への思いを抑えることが出来るはずで。

 忸怩たる思いは「杉原千畝」のユダヤ人にも云えて、ゲシュタポの指示のままトラックに載せられ、
着いた先で言うがままに立ったり伏せる図は傍目は滑稽。私は人の支配の仕方と構図を見るから、
余計にユダヤ人への残念さを思う。よく少数者が多数者を支配するほうがうまくいくと云うけど、
上記の場面を見れば理由は明らか。

 つまり多数を従えるには自分たちに有利な手段が必要で、手っ取り早いのが武器というわけ。そう、
武装すれば丸腰の人間からの攻撃を排除できるという思想で、少数者の支配が独裁になり易いという、
論拠。フセイン政権下のイラクが典型と思いますが、ユダヤ人の強制収容所への移送を始めたころは、
まだ支配体制に隙があったと考えられ。だからこそゲシュタポは移送を急き立てたと考える。

 大声の号令にしても私は、自分たちの組織の弱さを知っているゆえの焦りと気負いと聞こえました。
実際、相手が銃を持ってもユダヤ人の方が人数は多いから、突進して暴動を起こせばナチスドイツを、
第一次大戦前に崩壊できたはずであり。つまり民主政治は一回の銃撃で崩壊する危険があるが、
独裁政治も民衆が本気になって抵抗や批判をすれば、意外に簡単に崩壊すると私は考え。

 だから映画では描写を避けた一九三三年のアインシュタインの警告を真摯に考え、ヒトラーへの、
抵抗への根拠にすべきだったと私は理解を。

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