BLOGOSにたびたび記事を載せるかさこさんも殺害に終わった日本人人質事件について、
政府の行動を弁護していました。確かに(多分)今回の失敗を奇禍として国家主義への政策が、
もう散見。ただし論理で考えれば失敗した政権が防止策を提案すること、特に直後の情報公開前、
発表することは今回の失敗の糊塗を目論んだと私は理解し。
さらに今回は救出の意思を表明してくれた人もいて、「全ての手を使った」という政府の弁解は、
言い訳だと明かされたはず。私自身も一本目で政権批判を避けようと思っていたけど、安倍首相の、、
勇ましい「テロとの戦い」方に批判する必要があると考えを改め。しかし私は一本目でも、
テロリストに語りかけることの必要を思いついていて。
私が思いつけることぐらいは政治家や官僚も発想の一つであったと憶測。政治家の役割は、
言論と論理と思っているから。もちろん戦場記者は自己責任で現場を取材するのですが、
記者一人失う(失った)ことの深刻さを推察すれば、救出は国家としての義務とも思える。しかし、
今回の結果は日本の外交敗北と私も考える一方で、イスラム国も敗北したと考えられ。
「ノンゼロサムゲーム」にするというとき、「ウィンウィン」にするという意味。だが今回は、
「ルーズルーズ」、つまりゲームの参加者が全て敗北したという意味であり。ちょうど今朝、
ISILが釈放を求めていた死刑囚を、ヨルダン政府は執行したと報道。
人質事件が続いていたとき、日本政府もヨルダン政府も「負け」は避けられた形。「勝ち」は、
人質の救出なので、湯川さんと後藤さんが生きているあいだは「希望」があったわけ。しかし、
湯川さんだけでも殺した場合、日本に敗北させたと喜べる一方で、取引材料を自分から喪失したと、
意味づけが可能に。だから後藤さんも殺害したことで、日本もISILもともに負けたという考え。
パイロットの殺害を公表し、さらに報復としてヨルダンも死刑執行し、今回の人質事件の関係者、
すべて敗北したと私は理解。だから私はテロリストも人間なのだから、テロの不毛さを言論で、
政治家は主張し続ける義務があると思うのですね。
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