児童ポルノ規制法案、私の認識で「表現の自由抹殺法案」が危うさは、国民を分断するから。実は、
「テロとの戦い」の無理筋と構造は同じで。当時は私もテロの原因の解消が先だろうと思ったけど、敵と味方に分けること自体の危険を見過ごした。今になって分かるのは敵を作ること自体が権力の、
自らの保持に都合がいいこと。
敵がいれば権力の名の下にまとめる理由ができるし、そもそも価値が明確に分断されると、
国家による「共通の価値」を提示される隙を生むと思うのです。第一次大戦後のドイツは革命により、
新しい国家の体制になったのに、粘り強い国家主義者の政治で、無理な戦後賠償もあり、
ヒトラーの政権ができたと理解。しかし問題は科学者を含むドイツの知識人にもあり。というのも第一次大戦が始まった年すでに、
「一七人の芸術家、一五人の科学者、一二人の進学者、七人の歴史家、七人の医学教授、五人の作家、四人の哲学者、四人の言語学者、三人の作曲家、二人の政治家、一人の劇場監督」※ によって、
「文明世界への声明」が発表されたため。内容は「ドイツ礼賛」だが、理由は戦局を有利にするため、
宣伝活動の一環。勿論敵のフランスも同じことをやったみたいだけど、発言する場と機会のある者が、
国民を煽動したことは事実と考えられ。アインシュタインは一般相対性理論を件宮中なのに、
対立の増幅の危険を即座に認識し、数日以内に計四名による「ヨーロッパ人への声明」を。
もっとも天文学者のフロイントリヒが尽力し、アインシュタイン水から資金集めに奔走した、
日食観測計画が、観測隊がロシア兵に囚われ終わったことも「反戦声明」の理由と私は考え。元々、
軍隊の行進に怯える子供だったらしいけど、実害を被ったので「暴力の忌避」は確信へ強められたと、
考えられる。しかしアインシュタインさえ、革命直後の成功に油断した形。
詳しくはボルンとの書簡集を読んでみてですが、(第一次大戦後の)ドイツの失敗から学ぶことは、
「自由というのは不断の努力で維持できるもの」。権力に頼るというのは「他者による安心」なので、
権利と判断を自ら放棄するという意味。でも社会生活を営む大人なら、面倒な「権利」と「判断」を、
預ける前にもう一度吟味すべきと思うのですね。
私自身は想像してですが、自分の子供(たち)が活躍する時代を想定すれば、暗黒時代の招来を、
防げるはずと私は思う。
※『アインシュタインここに生きる』(245ページ)