私自身は「のび太の秘密道具博物館」を観た他は「ヤマト2199」だけを観ているので、
現在のアニメ(業)かいの評価は避けます。だから実写を含めた映像作品全般の評価の仕方ですが、私はまず「楽しもう」と思って視聴しているみたい。明確に理解した『映像の原則』を読んでから、
私も「映像による語り方」に興味を持ちました。しかし鑑賞するには邪魔な知識で。
とはいっても映像の色彩や光量、登場人物の配置から演出意図を勘ぐる癖がつき。けれど、
演出家は幕開けを大事にするとも確認したので、まず「騙され(てあげ)る」気持ちで視聴。例えば、
実写だけど先日見た『図書館戦争』を言及しますね。実は原作未読だけど「表現の自由」とともに、
内容はラヴコメということを承知。だから開幕の銃撃戦のガールミーツボーイをギャグと理解を。
しかし物語が進んで(わりと)真面目に検閲の問題を扱い、出演者の感情が(大)真面目なので、
私の評価はかなり甘く。つまり「気持ちよく観れたか」が評価の基準で、否定する気持ちを持ったら、
原因は自分で見つけられることと。例えば今週の「ヤマト2199」なら切迫が排除されているという、
疑念があり。多分、ヤマトとガス生命体との距離が曖昧だったから。
またシュルツの特攻も看取る人が皆無なら、最後までの内部の様子の描写は無用と思ったし。もし、
描写するならヤマトとの意思疎通が必要と思うし、通信の場面を避けるならシュルツが決意した後は、
(戦闘空域では)ヤマト視点に徹すべきと思うのでした。以上に簡単に例示したのは、
それぞれの作品としての「面白さ」から評価したつもり。
だから凄いと思ったのは、実は『映画けいおん!』。私は第一期の制覇もまだの半端者ですが、
しかしファンの思い(入れ)に十分応え、作り手自らが魅力と自覚する人物/音響/映像/物語を、
十分に表現しきったと評価。つまり学校の問題や男の話が皆無とか、バンドを組織と考えたときの、
様々な課題が排除されていることは、作り手もファンも「了解済み」。すべてが「夢の話」のため。
私が考察し続けている『タッチ』にしても南ちゃんが好まれる理由が劇中では不足しているし、
達也が鬼監督のしごきに耐えられる理由も、情緒では理解しても(ボクシングで鍛えたとしても)、
実際には打ち身や捻挫は当然のこと、極度の肉体疲労で日常生活さえ困難になると想定され。が、
あだち充は現実から想定される理詰めの物語を拒否し、気合と情緒で成就する夢物語を選ぶ。
私自身は限界を理解する一方、欠点も含めて『タッチ』わ好きでい続けている。とはいっても、
震災という状況で観る新作は、精神主義を越えて欲しいという欲を持つ。だから新作のヤマトも、
「旧作の解釈し直し」と私は見る。しかし観るなら楽しもうと思うのは、自分としての評価は、
時が経ては(自然に)定まるもの。批判するより(まず)受容するのが物語と考えれば。
最初は(無理やりにでも)作者に(と)付き合ってあげましょうという考え。
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