震災のたびたび番組でたびたび紹介していたので、読もうと思っていた本。簗瀬一雄訳注の、
角川ソフィア文庫で35頁なので、今月十日に買ってから既に読了していて。次に買ったのは、
山田孝雄校訂の岩波文庫。でも後者は底本の漢字の使い方に忠実で、読みにくかったです。なので、
以下は原本では開いていても、読みやすいように適時漢字にしてくれている簗瀬版で論じ。
というのも本文が短いので補注や解説などの史料が豊富で、簗瀬自身の訳も丸ごとあり、
文庫本なのに古典作品の意味を知ることが出来るから。私も一読(本文は二読)し鳥越俊太郎の、
「日本初のルポルタージュ」という定義に同意。しかし私の僅かな古典読みでも似た体験があり、
「ルポ」、事実の報告としては(現代の基準で)未熟な作品と考える。
「ゆく河の流れは絶えずして」の書き出しは随筆や随想であり、「祇園精舎の鐘の声」から始まる、
『平家物語』を私は髣髴しました。解説で『池亭記』などの当時の古典を叙述の参考と指摘され、
事実の報告以外の要素があると分かったのですね。考えてみれば『方丈記』が報告文学の祖なら、
『機動戦士ガンダム』が今観れば「スーパーロボット」しているように、夾雑物があるのは当たり前。
しかし重要なのは冒頭で長明自身の認識を告白しているものの、立証は事実に依ること。つまり、
作り物語なら「むかしむかし」とぼかしたり、「有り難きこと」という説話にするところ。しかし、
長明は日付をできるだけ特定させることで(多分)当時の物語り趣味を批判し、事実だけを、
角川ソフィア文庫で35頁なので、今月十日に買ってから既に読了していて。次に買ったのは、
山田孝雄校訂の岩波文庫。でも後者は底本の漢字の使い方に忠実で、読みにくかったです。なので、
以下は原本では開いていても、読みやすいように適時漢字にしてくれている簗瀬版で論じ。
というのも本文が短いので補注や解説などの史料が豊富で、簗瀬自身の訳も丸ごとあり、
文庫本なのに古典作品の意味を知ることが出来るから。私も一読(本文は二読)し鳥越俊太郎の、
「日本初のルポルタージュ」という定義に同意。しかし私の僅かな古典読みでも似た体験があり、
「ルポ」、事実の報告としては(現代の基準で)未熟な作品と考える。
「ゆく河の流れは絶えずして」の書き出しは随筆や随想であり、「祇園精舎の鐘の声」から始まる、
『平家物語』を私は髣髴しました。解説で『池亭記』などの当時の古典を叙述の参考と指摘され、
事実の報告以外の要素があると分かったのですね。考えてみれば『方丈記』が報告文学の祖なら、
『機動戦士ガンダム』が今観れば「スーパーロボット」しているように、夾雑物があるのは当たり前。
しかし重要なのは冒頭で長明自身の認識を告白しているものの、立証は事実に依ること。つまり、
作り物語なら「むかしむかし」とぼかしたり、「有り難きこと」という説話にするところ。しかし、
長明は日付をできるだけ特定させることで(多分)当時の物語り趣味を批判し、事実だけを、
後世に遺そうと目論んだと推察。「平家」と主題は似るにしても、事実の迫力を信じたと私は理解を。
[2697houjouki.txt]