『ダブリナーズ』を紹介したことがあるので、私がジョイス読みであることは知れているはずで。が、
今のところ他に『ユリシーズ』の三冊(①②③と④⑤⑥のそれぞれの合本、さらに⑫)と、
『フィネガンズ・ウェイクⅠ・Ⅱ』(やはり合本)を読んだだけの半端者です。でも三冊目を読めば、
ジョイスの凄さを理解するには十分であり。
一方で小説の定型を守る方では『ユリシーズ』は、私には屈辱。と言うのも数々のパロディで、
英米権の人間なら気づいて笑える要素を、(多分)殆ど読み落としているから。だから残る、
『ダブリナーズ』が三冊の中では一番「普通」の小説らしく、読み解き易いて物語と私は理解。ただ、
新しい情報や刺激を期待すると裏切られる。
ダブリンはアイルランド共和国の首都。ということはIRAであり北アイルランドであり、
ホームズの時分からテロがあったらしいので、厄介な国柄、土地柄であることが推察でき。実際、
『ユリシーズ』でも、酒場で独立を喚く人が描かれていたし。しかし『ダブリナーズ』では、
露骨に明確に、題名になっている「人間」を定義。鬱屈と情緒を持つ、日本人より屈託ある人たち。
短編集であり、成功者を書いた話もあるけど、バカ騒ぎ加減が却って将来の失敗、というより、
数分後の交通事故さえ想像したのでした。後は忘れ物した話とか、日常話が殆どと記憶を。けど、
思い返してみるに、登場人物に託した「日常は大切だ」という主張よりも、「日常が真実である」を、
本書から受け取ったのですね。日常話だけど、登場人物が「生きている」と認識できたため。
つまり平民は慎ましい生活の中で一喜一憂する小さい生き物だと、小ささの価値自体は、
小説からは不明だけど、私は理解したのですよ。「日常」がダブリンということは、「非日常」、
別の言い方で「大きい話」があるわけで、連合王国と定義するのが穏当と思われ。とすると一層、
今のところ他に『ユリシーズ』の三冊(①②③と④⑤⑥のそれぞれの合本、さらに⑫)と、
『フィネガンズ・ウェイクⅠ・Ⅱ』(やはり合本)を読んだだけの半端者です。でも三冊目を読めば、
ジョイスの凄さを理解するには十分であり。
一方で小説の定型を守る方では『ユリシーズ』は、私には屈辱。と言うのも数々のパロディで、
英米権の人間なら気づいて笑える要素を、(多分)殆ど読み落としているから。だから残る、
『ダブリナーズ』が三冊の中では一番「普通」の小説らしく、読み解き易いて物語と私は理解。ただ、
新しい情報や刺激を期待すると裏切られる。
ダブリンはアイルランド共和国の首都。ということはIRAであり北アイルランドであり、
ホームズの時分からテロがあったらしいので、厄介な国柄、土地柄であることが推察でき。実際、
『ユリシーズ』でも、酒場で独立を喚く人が描かれていたし。しかし『ダブリナーズ』では、
露骨に明確に、題名になっている「人間」を定義。鬱屈と情緒を持つ、日本人より屈託ある人たち。
短編集であり、成功者を書いた話もあるけど、バカ騒ぎ加減が却って将来の失敗、というより、
数分後の交通事故さえ想像したのでした。後は忘れ物した話とか、日常話が殆どと記憶を。けど、
思い返してみるに、登場人物に託した「日常は大切だ」という主張よりも、「日常が真実である」を、
本書から受け取ったのですね。日常話だけど、登場人物が「生きている」と認識できたため。
つまり平民は慎ましい生活の中で一喜一憂する小さい生き物だと、小ささの価値自体は、
小説からは不明だけど、私は理解したのですよ。「日常」がダブリンということは、「非日常」、
別の言い方で「大きい話」があるわけで、連合王国と定義するのが穏当と思われ。とすると一層、
日米関係との相似に気づき、日本人である私たちのお目出度さに気づくと言うもの。
[2667Joyce.txt]