野党の邪魔がないのに、今日『報道ステーション SUNDAY』に出演した岡田克也は、
絶好の機会を逃したと私は結論する。「決まらなさ」も含めて、現在の民主党の方針の確認だけでは、
副総理が説明する価値は無いと思うから。総選挙の契約に立ち返り年金の一元を目指すなら、
「超長期の問題」という定義で逃げないで、明確な工程表を公表すべきだった。

 一元の制度による受給が四十年後では信頼できない。積み立て方式が理想と副総理も言うなら、
途中経過の難しさを告白は、出来ない言い訳と私は理解を。ならば自民党時代の「霞が関政治」と、
変わらないと定義。もし「最終目標は積み立て方式」を掲げて大雑把でも途中の処方箋を公表すれば、
総理候補になれたのに。私自身は「デフレの正体」の藻谷浩介が云う、年齢別が理想と考え。

 私が「四十年後では信頼できない」のは、「国家百年の計」は無理と思い至ったので。実際、
現在の年金制度は四十年後の支給という制度の隙を付いた形で、役人のお手盛りになったし。また、
関東・東海地方が大地動乱の時代に入った」と認識する識者もいるので、少しずつの変更は、
却って制度が信頼されなくなる恐れがあり。仮になくても、外国の経済も制御できない要素。

 私も震災と年金を結びつけることは東北地方太平洋沖地震が起きるまで出来なく。でも考えれば、
制度は人間が自分たちのために作った物。ならば行き詰まりが明白なら変更してもいい、というより、
変更すべきと私は思うのですね。年齢別も時代の申し子であり、人口増加時代になったら、
再びの賦課方式も考えの一つ。だから目標は早く、明確に出来なかった岡田克也の限界を見たと。

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