昨日やっと今回の『朝まで生テレビ』を観終わりました。すでに香山リカを半ば狙い打ちに、
反橋下陣営の弱さは周知になっています。ただし香山の批判に終始して、記事の書き手自身の、
橋下への見方は「BLOGOS」を読んだ限りでは無い。私自身は風聞で理解していた以前よりは、
政策に対して好意を持って観れたと。ただし橋下の限界も見当がつき。
手法を不問すれば橋下の目論見は、前回の総選挙で掲げて大勝した、頓挫している民主党の政策。
しかしさらに瓜二つと思うのは、両者とも地域主権を完成したあとの国家目標が無いことで。例えば、
私の持論の「人類を宇宙に住ませる」とか。国家主義を隠さない石原慎太郎の方が潔く思う。が、
橋下は行政の仕組みの変更に注力することで、自分の主義を封印した形。
だから大阪人は安心して、行政官として働かせられると思うかも知れません。しかし一般論で、
現場に決定権を持たせると、国家としての力が弱くなる。清盛が海洋国家を目指しつつ、
軍備を増強したのは偶然でないと気づいたのですね。後年では信長も天下布武を標榜し、
地球儀から世界の広さを認識していたろうし。さらに明治政府も門戸を開いたあと、帝国海軍を。
つまり日本の政治史を概観すると、国を開くことは国を強くすること、露骨に定義すれば、
武力の獲得という仮説。一方で外に眼を向けない時期は、鎌倉期や江戸期が好例であり。つまり、
内向き志向であり、鎖国の時代に。現代が難しいのは中央集権からの脱却が必要なのに、
国としても企業としても絶え間ない、外との競争を迫られているから。
現状の原因の解明は、大東亜戦争後の日本の解釈で考えられ。簡単に言えばGHQでも、
中央集権体制は解体できなかったのに、世界の潮流に無関心でいられたという意味。もちろん、
商社や自動車は常に国際情勢に気を配っていたはずの分野。しかし私を含め大多数の日本人は、
鎖国での経済発展と考え。
しかし冷戦崩壊で米国の庇護は消滅し、地球規模の市場経済に日本も国としても企業としても、
参加せざるを得ない羽目。いまだ確たる針路を見つけられないのが日本と、定義できるのですよ。が、
楽観論を云えば世界をまたにかける企業は国境を問題にしない一方、ユーロの問題に見るように、
住んでいる人間自体は移動を嫌悪。ということは武力に依らなくても、行政単位の四分五裂へ。
なので権限/財源/人間を地方に渡しても、日本が外国に屈服する事態は考えられない物。そう、
想定する国家は中国だけど、共産党政権が倒れれば…。
[2445hashimoto.txt]