標準設定にしている一覧のなかで『悠久の銀河帝国』を読んでいるところ。第一部と第二部があり、
まだクラークの『銀河帝国の崩壊』にあたる前者の途中。SF者の一般常識の「崩壊」を前半とし、
新たにグレゴリい・ベンフォードが描いた部分を後半として一冊にしたのが、本書なのですね。で、
ややこしいことにクラーク自身は「崩壊」を精緻に書き直した『都市と星』を発表済み。

 クラークとしては『都市と星』がある以上、古びた『銀河帝国の崩壊』は無用と思ったようですが、
旧作を好むファンのために並存を許したと。私もたびたび取り上げて、『都市と星』については、
映画に出来ると断言しました。しかし先走ったと書いてから気づいたのは、映画にしたいのは、
古びた方だったから。新しい着想を加えた方は、長さから云ってテレビ向きと考えていて。

 しかし上記の経緯を説明するのが今回の記事の狙いでなく。『都市と星』はテレビが前提なので、
異世界になっている遠未来を説明する時間は十分ある。しかし映画にする『銀河帝国の崩壊』は、
リスという名の集落から始めるべきと思いつき。というのもクラークは技術を信頼する作家なので、
反対の思想を持つ土地を訪問することで、新しい知見を獲得できる提言。

 しかし小説だから成り立つ考え方で、大衆に観てもらう映画という媒体では採用しない方が、
いいという意味であり。都市で生まれた主人公が大地へ降りる物語構造は『ATOM』と同じだが、
鉄腕アトムは絵で共通認識があった存在。一方でアルヴィンの姿は読者の想像力に頼るしかないし、
「崩壊」自体もSF者以外の知名度は皆無。

 だから観客にいち早く物語に入り込ませるためにはアルヴィンでなく、同年代だけどリスに住む、
セオンを主人公に。とするとアルヴィンは道化師の主人公という役柄から、セオンの補佐つまり、
主人公の導き手に変わると考えられ。なのでアルヴィンがダイアスパーに戻るときはセオンが随伴し、
観客とともに空前の都市を体験するはず。映画としても証拠となる人間がいた方が説明が省け。

 とするとアルヴィンが信頼に足る人物にする必要があるので、無邪気に冒険者の小説版は、
無謀のようで思慮深い探検者へ。でも実はセオンと同じ程度の知識かもという疑念を、
観客に抱かせることが出来れば、理解の難しさも扱えるというもの。






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