昨日の記事、最後の段落の「他には地球ぐらいしか」は、意味が掴めなかったかも知れなく。で、
補足すると、「人類という認識を獲得するための他者」という意味で、宇宙からの侵略者とは違い、
大切にしなければならない存在として例示したつもりでした。さらに「遺伝子の乗り物」は、
利己的遺伝子論での生物の捉え方で、私が思いついたものではありません。
もっとも『利己的な遺伝子』は誤解されやすい本で、結果論を狙いがあるかのように考察する、
思想に近い思考方法と捉えるべきで。さて昨日の記事の末文は、過去記事に答えがあり。
上記のなかで今回の話題に直結するのは、[0898]「未来」はなぜ生まれたか?と、
[0900]「歴史」の誕生が未来を産んだの二本の記事。簡単に言えば氷河期などの危機を、
生き長らえた部族だけが危機管理としての神話を獲得できたという意味。さらに記録自体が、
執筆者自身がいなくなった未来を空想することも。しかし言葉の獲得は帰属意識にも影響させたはず。
ヒト以外の動物の群れが各々独立しているのは、言葉がないからと仮説でき。文字がなくても、
知識や知恵の伝承はできるけど、一つの部族社会で完結できそう。しかし記録することは、
執筆者に未来を空想させるとともに、読める人と読めない人という区分けを生む。読めない人は、
読める人を信頼するしかない。しかし「悪化が良貨を駆逐する」が世の常。
識字率の問題はトッドの研究成果で、便利だから利用することに。読める人は「頭脳」であり、
読めない人は「手足」と譬えることができる。しかし識字率の向上は大衆が「頭脳」になること、
言い換えれば「手足」が「頭脳」を持つということ。現在の先進諸国が好例ですが、
少なくともサブプライムショック以前まで、上手く回っていた理由を解明すべきと考え。
つまり信用取引が可能で互いが信頼し合えた理由ですが、法律は守るべきという不文律が、
あったからというのが私の仮説。考えてみれば法律は妙な存在で、単なる文章なのに人は自分から、
守るべき指針だと教えられる物。理不尽もあるけど納得できることが多いので、日常生活を送る限り、
背くことはあまりないのも確か。法律以外にも「使い方」や「嗜み」も似た位置づけ。
しかもすべて、言葉にできる事柄。
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