昨日の朝日新聞、朝刊は主題があるかのよう。「原発と司法」に関する原告弁護団の一人の取材、
さらにJR宝塚線脱線事故の神戸地裁での判決は、日本の司法制度の存在理由を明かしていると、
私は思うから。私は遠藤ミチロウが「裁判官は正直だよ」と歌った当時から、三権分立は建前で、
日本の裁判が組織に甘く、個人に厳しいことは承知していました。

 だから海渡(かいど)雄一弁護士の言葉は二度読んだけど、無罪判決の記事は想像がつくので、
遺族の言葉も含めて本文の字を追うことはなく。組織に甘い裁判は組織自体に権力があるとともに、
因果関係が曖昧になるからと推察。だから他の先進国では起した事故の結果責任を問うことで、
被害者であり原告に課せられた立証責任から開放したらしい。実情は私は全く知らないので。

 日本の法律も製造物責任法の思想に則って変えればいいと思うのけど、民主党の政権になっても、
事故の責任をとらせる法案は出てこず。「事故」を「政策」や「法律」に置き換えれば、少なくとも、
政府の法案としては提出できないのは明らか。でも記事を考えていたときに気づいたけど、
政策や法律が争いの対象になるのは、TPPにおけるISD条項と同じ。

 私もISD条項を根拠にTPPを批判していたけど、日本の行政から見たら厄介な条項だろうと、
気づいたと。ならばTPPに反対するのは旧体制という仮説も出来る。もちろん「ISD条項」を、
消費者/労働者としての日本人が活用するには条項の趣旨を理解する必要があるし、
権力に阿(おもね)るという思想を否定する必要があり。しかも人に押し付けずに。

 さらに福原から海外を見た清盛にならえば、TPPは日本の海洋国家への足掛かりになる空想も。


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