原作を尊重させると映画にし辛いのは『タッチ』の第二部で、だから「さよならの贈り物」は、
「和也を乗り越える達也」という主題を先取りしてしまった。新田の入院騒動が映画として、
穏やか過ぎる話というのは前に指摘を。でも予選二回戦の勢南に敗れてからは、
疎かにできない話が続くけど、逐一取り上げたら粗筋を追うだけになってしまう。
①南風で達也と南が、新田と西村と同じテーブルで会話 ~ 勉強部屋で南が達也の頬へキス
②明青野球部内の紅白戦 ~ 終わったあとの達也と吉田が、新田に順番に対決
③新田を打ち取った吉田の、クラスや野球部での台頭
④新田の妹、由加を川から助け出す ~ 案内された新田の部屋で「上杉和也を越えてくれ」
⑤須見工との練習試合
以降の「⑥エース決定戦」と「⑦新田の入院騒動」は、すでに検討済み。だから上記の場面も、
人物の言動の因果関係が想像できるので誇張も省略も不要と思われるかも知れません。しかし、
①から④を原作から引き写しただけでは人物の気持ちの変化を描けても、見せ場の場面⑤の時間が、
短くなってしまうのですね。だからまず紅白戦を削る。
続く新田との対決も吉田のミットに収まる画だけにとどめ、達也が削られた話の概略を説明。で、
直前の場面①も前半だけに留めるべき。でもタッちゃんへのキスが話としては重要なので、
回想という形での描写が必要であり。さらに映画では新田のお帰りで終わった方が、
「じゃ、上杉くん、また」の意味が明確になるものと。
しかし西村が南ちゃんにちょっかいする画を省き、キスの画を以降の回想にすると、
場面①が続き物と観客が認識できにくくなってしまうことに。着ている服を同じにしても、
映画館では巻き戻せないので確かめようがなく。なので「カッちゃんのやってた練習メニュー」の、
励行中に達也くんに思い返してもらう必要が。「新田くんなんてどうかな?」は前の台詞だけれども。
だから場面④か場面⑤であらためて、「新田くんなんてどうかな?」から始まる場面①の後半を、
達也が回想する形。もしくは南ちゃんの回想も考えられるか? ならば二人の考えていることは、
同じだと観客に示唆できるというもの。でも直前の回想になる「甲子園、つれてって」も魅力なので、
「新田くんなんて…」に置き換えるには惜しいし。
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