昨日覗いたら『タイムトラベルの哲学』で私が書いたアマゾンのレビューに一票、
「このレビューが参考になった」が入っていました。本当に有り難うございます。なので今日から、
調子に乗って標準設定になっているリンクの記事に、レビューのリンクを追加しますね。で今日は、
持ち越しになっていた青山の著作による批判記事であり。
前回で私も作図した図から、青山は「世界」と「私」の二種類の〈前後の時間〉を定義する。さて、
青山の定義する〈前後の時間〉とは、日付で定義される時間。「一本の時間軸によって表現」され、
「世界のあらゆる出来事」を「この時間軸上に並べ」たもの。しかし、ならば〈前後の時間〉は、
時間軸(世界)のものしか定義できなくなり、時間旅行者(私)のものは考えられないのでは?
実際、本書でも二つの〈前後の時間〉があることに自問を。答えは「時間軸のほうは客観的で」、
「軌跡のほうは主観的」な〈前後の時間〉と定義。一方で〈私の時間〉の定義を確認すると、
「特定の意識から捉えられた時間」とあって。では「主観的な〈前後の時間〉」とは〈私の時間〉と、
同じと考えるべきなのかも。でも宇宙の絶対時間を仮定すれば、より分けられることが。
青山自身の例は寝ている間の二つの〈前後の時間〉のずれですが、上手い例と思わなく。もっとも、
私自身はレビューで絶対時間を否定しているのですが、本書に則って論を進めると。簡単にいえば、
タイムトラベルにも時間がかかると想定すれば、相対論の考えを無視しているけど、
軌跡のあいだに時間旅行者の時計が進むのは当たり前。
でも青山は自分で論を混乱させたみたい。新しく作図しなければならないので、打ち止め。
[2185]『タイムトラベルの哲学』論議、水先案内
[2178front and back.txt]