昨日の問題提起、ボルツマンと青山拓央の物理法則への疑問をお浚いします。事の成り行きは、
私より先にアマゾンのレビューが同書の批判になっていて、尚且つ参考になった人がいたため、
青山が反論のために引用したのがボルツマンの『時間の矢の不思議とアルキメデスの目』。結論は、
エントロピーに言及しても物理法則の時間対称性は維持され、時間の向きの問題は解消しません」。

 以下は便利なので孫引き先の文章を引用しますね。
「たとえば、ある時点で先の気体のサンプルがふたつの箱に不均一に分布していたとしよう」
 たぶん「気体のサンプル」は端っこだけに集まっていて巨大な真空があるとか、あるいは、
組成の違う別の気体が漂っていることを指すのでしょう。だから、
「この気体の未来にどんな状態が可能かを考えると、より不均一な分布に対応する[つまり、よりエントロピーの低い]ミクロの状態よりも、より均一な分布に対応する[つまり、よりエントロピーの高い]ミクロの状態のほうがずっと多く考えられる」
 という成り行きは常識論として納得できる。書いている今、間違いに気付きました。上記の著作は、
ヒュー・プライスの手による物みたい。だからボルツマンではなくヒュー・プライスの言だけど、
プライスは時間を逆転することで、エントロピー増大の法則の弱点を指摘。プライスによれば、
時計を逆回しにしてもエントロピーは増大しなければならないから。

 プライスあるいは青山によれば、物理法則に時間の向きは関係ないのだから、エントロピー増大も、
過去に向かっても成立しなければならず、「時間の向きの問題は解消しません」と定義づけ。つまり、
気体の分布は統計を使わなければならないけど、「よりありそうな気体分布」を未来はもちろん、
過去の姿とも想定しなければならないという意味。

「よりありそうな気体分布」とは気体分子が交じり合ってエントロピーが最大になった状態で。で、
再び引用に戻ると、
「この気体の過去にどんな状態が可能だったかを考えるときにも寸分たがわず当てはまる議論なのだ。なぜなら、この統計的議論は単に可能な組み合わせの数を問題にしているだけで、時間の方向については何ら頓着していないからである」
という論拠を元に、
「エントロピーをこのように統計的に扱うと、なぜ過去のエントロピーがより高く”ない”のかという疑問がとびきりの難問になることにも気づいた。実際には、過去のエントロピーは現在より低かったように見える。これは、ここで示してきた統計的予想とは真っ向から対立する。なぜそうなってしまうのか?」
と結論付けることに。変な話と思いつつも、丸め込まれなかったでしょうか。以降、詭弁を暴き、
エントロピー増大の法則の確からしさ検証へ。まず第一に思考実験で過去を問うことが妥当か、
私は疑問を抱いたと。でも科学の中で語るには有効と思うものの、哲学からの投げかけ、つまり、
「問題にすべき」という主張に誠実に答えたことにはならなく。

 なので導き出した答えが「実験にはゼロ時間が必要」というもの。ゼロ時間とは実験開始の時点で、
エントロピー増大の法則は実験中しか当て嵌められないために、時間を遡る思考実験で、
エントロピーが増大しないということは当たり前であり。紅茶にクリームを入れるときは、
入れ始めがゼロ時間と定義され。入れるのをやめれば、かき混ぜなくても交じり合うところ。

 さて上記の実験のゼロ時間の前、生(き)のままの一杯の紅茶とポットに入ったクリームを、
エントロピーで論じてみても意味がないのでは。引用元の気体の思考実験も組成に偏りがあれば、
偏りの元となったゼロ時間があるに違いなし。ならば時計を逆に回してエントロピー増大を言うは、
無意味だと私は思うけど、青山か納得するとはとても。


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