タイムマシン関連でないと品が無いと思って小説版ドラえもん以外では自重していましたが、
アマゾンの方で『タイムトラベルの哲学』をレビューしましたので、再びお報せ致します。


 今回は本のほうの批判ではなく、青山が時間の向きを問題にするために取り上げている、
哲学の問題について。自然法則が時間を逆にしても成立するなら、世界が混沌に向かうことも、
成立しなければおかしいということ。エントロピーの増大と学者は言ってしまうけど、
簡単に云えば整理整頓しなければ部屋は散らかってしまうことであり。

 散らかり具合をエントロピーと定義して、エントロピー増大が時間の向きと科学者は定義。また、
散らかり具合とは均一さとも定義され。例えばに砂糖を入れてかき混ぜた珈琲は、
再び砂糖をより分けるには液体のままでは不可能に。一方で整理が付いていない部屋では、
必要になったものを見つけ出すのに一苦労。だから両者ともエントロピーという同じ意味。

 さて青山が引用する『時間の矢の不思議とアルキメデスの目』、私の記事では孫引きになりますが、
論理を私なりに解説。たとえば空気の中の元素の分布、窒素や酸素や二酸化炭素に偏りが出来たと、
思ってください。例としては呼吸器官のすぐ近くで、理論上は二酸化炭素と酸素の増減が、
観察されるはずですね。でも元もとの量が膨大だから、すぐに見分けがつかなく。

 でも気体の組成が不均一になること、つまりエントロピーが低くなることがあると解ったところで、
問題を引用元に戻しましょうか。ボルツマンは気体分子の位置を統計に求め、互いに混じりあうのが、
一番起こりやすいという意味でエントロピー増大の法則に同意を。ただし分子の位置が統計なら、
過去に遡っても成立しなければならないというのがボルツマン、さらに青山の認識というもの。

 だから、
「結論から言えば、エントロピーに言及しても物理法則の時間対称性は維持され、時間の向きの問題は解消しません」
と青山は問題提起するのでした。私自身は屁理屈だと理解するのですが、読者に考えてもらうため、
今日は問題提起だけ。

青山拓央 wiki - livedoor Wiki(ウィキ)(2011.4.6.(4.12.追記))