今はまだ広い意味で震災関連に興味を持ち、発売されたのは知っていても買う気を持てないのが、
ガンダムの家族論』。すでに私が覗いているサイトでも感想が書かれていますが(ここここ)、
私自身は中途半端とは別の意味で、両方で取り上げている「F91」の評価は低いです。といっても、
私自身がまともに観た富野ガンダムは他には、ファーストに「Ζ(ゼータ)」、「逆襲のシャア」のみ。

 けれど途中で観るのをやめた「V(ヴィクトリー)」と「∀(ターンエー)」を、
アニメ雑誌から仕入れた情報で補完すれば、主人公二人の描写が雑なのは私には明白。というのも、
最初からモビルスーツを難なく操縦しているから。特にセシリー・フェアチャイルド、
ベラ・ロナは乗りこむ前は「いい女」という描写しかなし。

 たとえセシリー用に開発された裏設定を認めるにしても、素人がすぐ乗りこなせるか? また、
同じ描写は逆襲のシャアのクェス・パラヤにも。富野監督としてはアニメ制作での若手の台頭を、
投影したつもりでしょう。しかし野球や剣道や柔道の劣等生だった私には、むしろモビルスーツは、
F1を参考にすべきと思っていたから、始めから才能の差を設定することに疑問を持つ。

 シーブック・アノーはまだ前の段階で車を操縦する場面があるからましだけど、だからといって、
早々と戦果を出せるとは。しかもホワイトベースみたいな戦艦に乗り込んだ当初は、
三角巾で吊っていたので、吊られた腕の反射神経と筋肉は鈍(なま)っていたはずであり。私自身、
風邪の病み上がりの筋トレで毎回自覚すること。

 少なくともモビルスーツを乗りこなす言いわけは、「ΖΖ(ダブルゼータ)」を含めて、
立っていた。アムロはガンダム自身の装甲のおかげで優秀になる時間を手に入れたし、
カミーユは空手部だったようで。ジュドーは宇宙のジャンク屋で、操縦問題を始めから回避。さらに、
シーブックのあとのウッソにいたっては、両親が教育したという形。

 ロランはモビルスーツに乗って地球に降下するから、F91の主人公二人が乗りこなせたのは、
上杉達也が柏葉英二郎を越えた理由、思い/想いが深かったからという帰結と私は定義。もちろん、
富野という作者を消した場合は別の説明が必須なはずですが、ニュータイプで家族を論じるために、
監督は基本設定を蔑ろにしたと解釈を。だから続けても、私自身は飽きたと思うのですね。




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