相対論からの糾弾や批判では終わっているから、今回からは著作に基づいて論じます。さて、
以下が「二章 向きと時間の流れに関する対話」で再掲している図3であり。青山は時間の向きを、
遡れると考えている。前提となるのは時間軸による時間の向きと、時間旅行者の軌跡に添えられる、
灰色の矢印の向き。前提となるのは時間を〈私の時間〉と〈前後の時間〉の二つに定義できること。
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 二種類の時間の定義を確認するために「一章 私の時間・前後の時間」見読み返したら、
「時間軸の矢印の向きに時間が流れてはいない」という致命傷を発見。誤解する青山の原点だけど、
宣言してしまったので、青山の論理で話を進めますね。

 これからあなたがどこかに行くなら、そこは必ず未来である。どんなところに行くかは問題ではない。(中略)こうした考えを根拠にして、タイムトラベルは不可能だと主張されることがある。

 以上の理屈から青山が導き出すのが「私の時間」という定義で。一人ひとりが認識している時間、
というより長さ(歴史)と点(今)で成り立つ時間の認識の仕方と定義出来そう。

 物理学では時間を一本の時間軸によって表現する。その一方の向きは以前を、他方の向きは以後を表す。世界のあらゆる出来事は、この時間軸上に並べることができる。それは直線的な関係を持つから、どの二つの出来事についても順序を語ることができるし、それゆえ、たんに以前―以後を語るだけでなく、時間的な遠近を語ることもできる。


 だから青山は、

こうした以前―以後の系列としての時間を、〈前後の時間〉と呼ぶことにしよう

と定義づけを。二つの定義を確認したところで、議論の続きに戻ることに。実は草稿の段階で、
時間軸が時間の流れなので、灰色の矢印が理解できない知人や友人がいたらしく。尤もだと、
知人友人の理解を思うけど、とりあえず先に進む。青山自身は図から二種類の〈前後の時間〉を、
読み込むのでした。一つは時間軸、もう一つは矢印である時間旅行者の軌跡というもの。

[2185]『タイムトラベルの哲学』論議、水先案内

[2162my time.txt]