ドラえもん世界を『ドラえもん』から切り放す時期かも知れない。初めての小説が出版されたし、
ドラえもんはタイムマシンでやってきた未来からの使者だから、本来は小説として堪えうる、
未来世界の副産物のはず。しかし藤子・F・不二雄は描こうと思えば出来たはずなのに、
あくまでドラえもんをのび太たちが生活するドラえもん世界に縛り、子供の夢の世界に利用した。
                          『ドラえもん

 でもドラえもん通の瀬名が作家として活躍する現在、ドラえもんが生まれた時代を、
現在の世界情勢と作家の発想の飛躍から特定しても、「夢がなくなる」という非難はないのでは。で、
私が二一一二年の世界を読んでみたいと思ったのは、今回の「列島震災」が原因。というのも、
「どこでもドア」があれば被害の把握は格段に早くなるから。

 一方で避難場所や仮設住宅には広い場所が必要なので、地球から離れるのでない限り、
科学技術では解決できなく。つまり二十二世紀も日本を含め災害はあるだろうから、
四次元ポケットから出てくる道具での対処方法もあるはずであり。四次元ポケットは単なる容れ物で、
道具自体はドラえもんが帰って買ってくる物なのですね。つまり資本主義社会が成り立っている。

 ということは二十二世紀も「世界」の定義の範囲は不明だけど、資本家と労働者がいると推察。で、
世界の問題は解決したり新たに生まれたりしているだろうけど、富を求める心理は変わらないから、
SFというより小説として成立させる基盤があるということ。もっとも時代によって、
「二一一二年」の世界は変わってしまうから、齟齬が激しくなれば更新しなければならないでしょう。



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