以上の記事で取り上げて論じてきた、
昨日あったようです。十話は短いからせめて半年放送しろとか、アニメ化を発表以前に提案したとかは、
以前の記事を参照を。今回はビジネスモデル、儲け方を考えてみたく。
というのも実写にも手を出しているヤマカンこと山本寛監督を論じたブログ記事で、
商業アニメの儲け方を問題にしていたから。記事ではパトロンと言っている投資ファンドは私自身も、
以前から思いついていまして。同時に(事業としては失格だけど)儲けを第一に考えないことが、
文化としてのアニメの育みに必須の態度と。
私自身は作り手の考えや思いが直に反映するアニメ独自の企画は大衆を巻き込みにくいと捉え、
「もしドラ」がアニメになることを機に、あくまで「もしドラ」に限ってだけどもう一つの方法論が、
あることが解り。簡単に言えば映画にもするというもの。
もちろん放送されるアニメすべてに適用することは出来ませんが、DVDが不振で、
他の商品展開も期待できないなら映画にするしかないのでは。しかも「もしドラ」は原作が荒く、
アニメの作り手が埋め合わせる余地を持つ。だから再話を目指して成功した旧作とΖの三部作、
あるいは独自の展開で失敗した劇場版『タッチ』の三部作とは、違った手法を取ることができ。
私だったらやっぱり一年という放送期間を確保したい。理由としては学校生活を仔細に描け、
原作の出来事を全て取り上げることが出来るからですね。一方で映画は野球部が中心。構成は、
第一部がみなみちゃんの野球部入部から翌年の夏の予選直前、第二部が準決勝までの予選大会、
第三部が決勝戦と以降の出来事がいいでしょう。しかも第三部に当たるテレビ版は無し。
完成された原作の『タッチ』では無理な手法と云え。以前も指摘したと思うけど、
人物の動きが完成されているため、あるいは語り口を変えるとあだち節でなくなるために、
原作を崩さないのが映画脚本に求められることだった。文化祭や修学旅行などあるべき学校行事が、
描かれていない点も含まれ。テレビシリーズでも主題から外れるから描かれないまま。
しかし「もしドラ」の主題はドラッカーという組織論だから野球に限定されず、学校生活の、
様々な場面で取り扱える余地。しかし時間が限られる映画では「もしドラ」の主題、
「ドラッカーで甲子園を目指す」を前面に出した方が取っ付きやすいものに。つまり「もしドラ」は、
テレビと映画で語り口を全く変え、両方とも成功する見込みが立つところ。
科学者の物語をアニメに 2006/10/14(土) 午後 9:20
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